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1. 電脳暦
時代は電脳暦(VC)へと更新された。
人類の生活圏は地球に留まらず、その周囲、月にまで及んでいる。
これらを総称して地球圏と呼ぶ。
内惑星系、そして火星以遠の惑星への進出も試みられてはいるが、芳しいものではない。
シンギュラリティを経て、枠組みとしての旧来の国家は機能不全に陥り、解体が進む一方で、企業国家が台頭した。それは明確な国境を持たず、ネットワークの接続と遮断が演出する人々の動態によって逐一マスパワーを変動させる、実体を持たない国家だった。
人々はパーソナルな利便性への依存に馴れ、無自覚のまま、その代償として潜在する孤独に翻弄されている。共有しうる価値観や理念、あるいはその核たるものを見失い、またあっさりと手放して乗り換えていく。一瞬、一瞬の情動に駆り立てられ、ネットワーク内を流動する彼らの偏在こそが、企業国家の力の源泉だった。このような流れの中、電脳暦の社会ではほとんどの物事が商業ベースで是非を判断、実行されるようになる。やがて確立した汎世界的経済相互依存システムは、無数のレイヤーによって構成される複雑なヒエラルキーを生みだした。ひとつの極致として、電脳暦草創期に伝説的成功を収めた幾ばくかの家系や人々、あるいはシステムの中から、ある種の超法規的特権階級オーバーロード(Overload)が誕生した。彼らは企業国家の有力株主であり、それは大抵の場合複数にまたがっていたので、メタ国家的行動が可能だった。特に五大極ともよばれる5つの系統は、地球圏の権力構造の根幹をなす強大な存在で、彼らが有する既得権益は、地球圏を様々な意味でがんじがらめに縛りつけていた。たとえば、この時代、主要なエネルギー源は太陽光へとシフトしていたが、その利権はサンダイバーズを名乗るオーバーロードの眷属が独占していた。また、前暦に木星圏開発の中枢を担った木星開発公司はすでに崩壊して久しかったが、その残滓はオーバーロードによる権力闘争、すなわちグレート・ゲームの格好のフィールドとなり、外惑星系は無秩序を極めた。総じて彼らの気まぐれ、かつ独善的な振る舞いは、下層レイヤーに属する企業国家の利害と対立して様々なトラブルを生み出し、時に電脳暦の社会を揺るがす事件へと発展した会を揺るがす事件へと発展した。
一方、多くの人々はそれなりの安楽な生活を保証されており、肉体的負担の大きい労働は、おしなべて機械や使役生物(人工素体等を含む)が代行した。一見すると、彼らの日常はそれまでとさして変わらず、平穏な毎日が続いているかのようであったが、実態はむしろ悪化していた。この時代、最もコモディティ化していたのは人の命であり、これをいかに効率的に消尽するかは、執り行なわれる経済活動の価値を判断する一つの指標でさえあった。後述する限定戦争において、人命がたやすく消費されながら特に省みられることがなかったのは、このような背景によるところが大きい。そして、人々はこの状況に麻痺していた。彼らは自らの可能性の限界に屈し、意識的にせよ無意識的にせよ、自身の運命を受け容れていたのである。
閉塞する世界において、それを打破しようとする意志や力が皆無だったわけではない。注目すべきはVC80年代から90年代にかけて生まれた伏流で、a0年代に至って顕在化する。様々な場所で、様々な勢力が、自らの運命に抗うように立ち上がる姿を我々は目の当たりにするだろう。わずかな希望は英雄を生み出し、彼らは自らの信ずるものを拠り所にして戦う。もちろん、彼らのうちの多くは志を全うできない。希望は絶望にかわり、ある者は斃れ、ある者は変節し、またある者は死線を越えて新たな境涯に至る。だが、そのありようこそが命であり、語り継がれるべきものであると気づくとき、人々は一筋の光明を見いだすことになる。まことに絶望とは希望の源であり、電脳暦とは、そのような命の再発見を促す画期ともなりうる、稀有な可能性を秘めた時代であった。
※電脳暦は16進数を使用する。すなわち各位は、0~9、それ以降はa~fをもって表記する。
2. 限定戦争
爛熟と停滞に淀む電脳暦の社会は、戦争放棄の建前とは裏腹に、限定戦争という危険な玩具を生み出した。この特異なシステムが持つ様々な側面、たとえば経済活性化、文化的刺激、政治的パフォーマンス、果ては単なる慰みもの、といった要素が称揚される一方、人的資源を湯水のように消費する負の側面については一向に省みられることがなかった。
限定戦争を開催するにあたっては、国際戦争公司などの興業者が管理する専用地が用いられ、実際の戦闘はDNAなどの専門組織が請け負う。そこでは、いたずらに勝利を追求することは評価につながらず、祝祭としての娯楽性が求められた。人は死を前にして際立つ生をもってのみ、これを認識する。モニター越しの戦争を傍観し、ガジェットと化したプロパガンダや理念を謳い、スキャンダラスな煽動に打ち興じる。あるいは単に破壊と殺戮への渇きを癒し、一瞬の昂ぶりのなかに、命を錯覚する。限定戦争が、ビジュアル・エンターテインメント・ビジネスとしてその立ち位置を確立するのは、時代の必然だった。
とはいえ、人々の心はうつろい易い。繁栄を極めていても、無策のまま放置すれば市場はやがて疲弊する。限定戦争が慰みものとして興行される特質をもつ以上、流行り廃りに翻弄されるのは宿命だった。その際、効率的戦闘に最適化した兵器は歓迎されなくなり、「人々の戦い」というダイナミズムを十二分に表現しうるガジェットとしての存在感が求められる傾向が顕著になった。
このような背景のもと、地球圏有数の巨大企業国家ダイナテック&ノヴァ社(DN社)は、電脳暦にふさわしい新たな兵器のコンセプトを模索していた。彼らは、長年にわたる地道なマーケティング調査とその分析をもとに、電脳暦(VC)70年代後半、XMUプロジェクトを立ち上げる。それは、「巨大人型有人ロボット兵器」の実用化を目的としていた。
当時、限定戦争のショー・ビジネスとしての側面は、数々の奇妙な規制をもたらしていた。戦闘内容のさらなる激しさが求められ、少女型素体を用いる等、下世話なものが登場する一方で、あからさまな流血を伴う過度の残虐性は、倫理規定に抵触するものとして否定されたのである。  XMUプロジェクトは、このような矛盾に満ちた規制を潜り抜けるべく、考案されたものである。もし完成度の高い人型ロボットによる戦闘が可能となれば、生身の人間によるそれと同等、あるいはそれ以上の迫力を保ちつつ、視覚面での残虐性は希薄となる。特にそれが巨大なものであれば、人々に与えるインパクトは相当なものになるだろう。そしてまた有人機であれば、現場で戦う人間同士が織りなすリアルタイムのドラマも確保される。巨大人型有人ロボットは、限定戦争の本質にかなう有力な商品となる可能性があった。
残念ながら、XMUプロジェクトは道なかばで頓挫する。当時の技術レベルでは、開発に必要とされる諸問題をクリアすることができなかった。そもそも、体高10メートルを超す巨大ロボットが、二足歩行を伴う人型である必然性はなく、むしろナンセンスでさえある。厳しい批判にさらされた後、プロジェクトは解体され、スタッフは各所に散った。しかし、彼らの試みは無駄ではなかった。VC70年代になされた技術的蓄積は、後の戦闘バーチャロイド開発に活かされることになる。
3. ムーンゲート
VC84年、DN社は、月面における自社再整備区画79号内にある廃坑を探査中、謎の遺構ムーンゲートを発見した。それは巨大な円筒状の建造物で、技術レベルは人類のそれを超越していた。DN社は極秘裏に発掘調査を開始、やがて遺跡最深部から、Vクリスタル(ムーン・クリスタル)と呼ばれる八面構造の巨大な結晶体を見出す。
調査が進むにつれ、発掘現場に常駐する人々の間に奇妙な症状があらわれるようになった。なんの前兆もなく突然、意識を失ってしまうのだ。発症者は、Vクリスタルの調査に参加している点が共通していた。これは後にバーチャロン現象と呼ばれるようになる。
当時のVクリスタルは、わずかながらその機能を維持しており、人間の脳神経の活動を特異的に感知、これを触媒として活性状態に移行した。標的となった人間は、ゲート・フィールドと呼ばれる特異な場の影響下におかれ、なにがしかの後遺症を患う。通常、それは捕らわれた間の記憶を喪失する程度だったが、悪くすると廃人と化す場合もあった。
だが、例外的な人間もいた。ゲート・フィールド内で精神干渉されても悪影響を受けず、むしろこれと親和するのである。彼らの特質は数値化され、バーチャロン適性(バーチャロン・ポジティブ)と呼ばれるようになった。
ムーンゲート内景
ムーンゲート内景
巨大な円筒型をしたムーンゲート遺跡。画面奥行き方向の発光は、ムーン・クリスタルによるもの。遺跡内壁には、シールド・プレートが積層されていた。
4. 0プラント
その後、Vクリスタルに関しては多くの興味深い知見が得られた。まず、この結晶体は、なんらかの意識に類するものを持っているようだった。また、電脳虚数空間(CIS)への往還を可能とするゲート・フィールド形成機能を有していた。そしてムーンゲートは、Vクリスタルの能力を増幅する施設だった。
太陽系内には、Vクリスタルが遍在しているようだった。また、ムーンゲートと同様の構造を持つ遺跡は他にもあり、かつてはCISを介して相互にリンク、なんらかの転送ネットワークを構成していた形跡があった。この機能をうまく再生、制御することができれば、ゲート間での転送、それに伴う膨大なエネルギー供給等、様々な活用が望める。DN社の意志決定機関である最高幹部会は、これを千載一遇の好機と捉えた。それまで、エネルギー利権の大部分をサンダイバーズに押さえられ、また外惑星系への進出の道を閉ざされていた地球圏の企業国家にとって、五大極五大極を筆頭とする超上界層、オーバーロードによる支配の頸木から脱することは宿願だった。ムーンゲートから得られるオーバーテクノロジー(OT)の独占と、それによる技術的優越の確保は、彼らの野心を現実たらしめるものとして大いに期待されたのである。そこでDN社最高幹部会は、ムーンゲートに関する一切の情報を秘匿するよう指示した。
VC86年、彼らはムーンゲート復旧を目的とする研究機関を設立した。後世、0プラントと呼ばれるこの組織には莫大な予算が投入され、日夜精力的な研究が進められた。最新鋭の機材が導入されたのはもちろんのこと、研究者についても、Vクリスタルと相対する関係上、バーチャロン・ポジティブの高い優秀な人材が集められていた。
5. 第1次Vプロジェクト
VC87年、事態は新たな局面を迎える。当時行なわれていた第4次ムーンゲート発掘調査において、特別調査エリアDD-38から巨大人型構造体とおぼしき残骸が発見されたのである。身の丈50mはあろうかというこの遺物は損耗が激しく、辛うじて原型を留めていたのは頭部のみだった。そしてそこには、複製Vクリスタルが組みこまれていた。
BBBユニット(バル・バス・バウ・ユニット)と命名されたこの遺物は、極めて興味深い存在だった。過去にこれを作り出した何者かは、Vクリスタルを複製し、また、これを制御することで、CISを自由に往来する技術を実用化していたのである。この特殊な機能を持つがゆえに、BBBユニット、及びそれを頭部とした過去の人型構造体はバーチャロイドと呼ばれるようになった。
バーチャロイドそのものの再生は困難だったが、頭部に限定すれば見こみがあった。成功すれば、CISへの突入(コンバート)を実現する大きな足がかりとなる。VC88年、DN社最高幹部会は、BBBユニット(バーチャロイド)の復元作業を最重要課題に指定、Vプロジェクト(第1次Vプロジェクト)を立ち上げた。
プロジェクトの中枢を担った0プラントは、手始めにVコンバータを開発する。これは、Vディスクと呼ばれる特殊メディアを組みこんだボックス・フレームで、BBBユニットの簡易版であると同時に、復元の際には補機として機能する役割も担っていた。Vディスクには、ムーンゲート内で採取されたクリスタル質がコーティングされている。このため、Vクリスタルに類似する機能を有し、小規模ながらゲート・フィールドを形成した。そして、フィールド内にいる人間の脳神経活動にフォーカスして、バーチャロン現象を引き起こす。これを放置すれば危険なので、Vコンバータを制御するためのOSが必要となり、MSBS(Mind Shift Battle System)に白羽の矢が立った。
MSBSは、かつてXMUプロジェクトで開発された、精神制御指向の戦闘兵器用OSである。開発に関わったスタッフが0プラントに在籍していたことも幸いし、転用はスムーズに進んだ。
VC8f年、バーチャロイドの第1回起動実験が行なわれた。一見、万全の準備のもと施行されたかに見えたこの試みは、しかし無惨な失敗に終わる。BBBユニットに内蔵された複製Vクリスタルが暴走し、ユニット外部にゲート・フィールドが形成されたのである。0プラントは施設の2/3をCISへと転送され、多くの優秀な科学者が巻き添えになった。
実験はその後も続けられたが、めぼしい成果をあげることはできなかった。VC91年に行なわれた第3回起動実験も失敗に終わると、最高幹部会はVプロジェクトの中止を決定した。ただしVコンバータに関しては、その完成度を高める作業の必要性が認められ、業務継続が許可された。
Vコンバータ
Vコンバータ
Vコンバータ(背後の青色部分)は、Vディスクを組みこんだボックス・フレームである。これはBBBユニットの簡易版であると同時に、復元の際には補機としても機能した。
6. リバース・コンバート
リバース・コンバート現象は、ささいな偶然から発見された。  VC92年、0プラントのスタッフが気まぐれに、廃棄Vディスクに2次情報を上書きし、新しいコンバータ用ボックス・フレームにセットしてみた。最初は何も起きなかったが、自身のバーチャロン・ポジティブにあわせて負荷を段階的に上げてみたところ、突然、Vコンバータが高い活性状態に移行した。激しい自律放熱反応と共に、自らの周囲に構造物を実体化させたのである。それは、BBBユニット起動実験の際に用いられた仮設コクピットであり、スタッフが戯れにVディスクに上書きした2次情報でもあった。
画期的な発見だった。Vディスクに2次情報を上書きしてVコンバータに組みこむと、それに対応する物体を自らの周囲に実体化させるのだ。人々はこれを、「Vコンバータの自己再構成に伴うリバース・コンバート現象」、略してリバース・コンバートと呼んだ。
リバース・コンバートの応用が検討された際、Vコンバータ制御OSがMSBSであることから、かつてXMUプロジェクトで計画されていた巨大人型ロボットの機体データを使用する提案がなされた。これは早速実行に移され、実験は成功する。
それは奇跡的な瞬間だった。既存技術ではなしえなかったものが、ムーンゲート由来のOTによって実現したのである。巨大人型兵器を切望する妄執が物理的制約から解き放たれ、仮初めの姿として眼前にたち現れた時、人々はその幻像をバーチャロイド(VR)と呼ぶことに躊躇いを感じなかった。
リバース・コンバートのシーケンス・イメージ
リバース・コンバートのシーケンス・イメージ
Vディスクに適切な情報を上書きして組みこむと、Vコンバータはそれに対応する物体を、自らの周囲に実体化させる。これがリバース・コンバートの基本シーケンスである。Vコンバータ制御OS(MSBS)が、巨大人型有人兵器専用に特化していたため、実体化も、それに準じたものに限定される。
7. T/Z境界とベルグソン勾配
リバース・コンバートによって実体化したVRは、搭乗する人間のバーチャロン・ポジティブに対応して実存強度が決定する。しかしそれだけでは立っているだけの人形にすぎない。これを価値あるものにするには、戦闘兵器として十分な能力をもたせる必要がある。その際、問題となったのは動力系だった。小型の核融合炉はすでに当時実用化されており、相応の出力を期待できたが、0プラントは、VRを限定戦争の商用兵器として売り出すことを想定していたため、この選択は不可能だった。当時の限定戦争では、核融合炉を搭載する兵器の興行参加が禁じられていたのである。この問題を解決したのは、0プラントがそれまで積み上げてきたOTに関する膨大な研究成果であり、そこから引き出された多くの知見だった。中でも、T/Z境界とベルグソン勾配についての理解は、Vコンバータの技術的応用への道を開き、VRの可能性を大きく発展させるものだった。
VC8f年の第1回BBBユニット起動実験以降、数々の事故に見舞われた第1次Vプロジェクトでは、原因究明にも力が注がれていた。その過程で指摘されたのが、T/Z境界上における実空間からの干渉の危うさである。
T/Z境界とは、CISと実空間の間に設定された概念上の境界で、そこに実際の壁があるわけではない。既存の機器による距離の実測が無効、つまり事実上の零距離で接する2つの異質な空間は、互いに不可侵なものとして明確に隔てられていると考えられており、便宜上、「T/Z境界で接する両者は」などと記述された。広義のVR、すなわちBBBユニットが実空間からCISへ侵入するには、この構造物によって形成されたゲート・フィールドが、T/Z境界を越えていく必要がある。
一方、実空間とCISとの間には、ある種のポテンシャルエネルギーの較差とでも呼ぶべきものが存在した。実空間側からCISにゲート・フィールドを侵入させる場合、T/Z境界に穿孔することになるが(実際には目に見える形で穴をあけるわけではないが、便宜上、この表現を用いる)、その際、両者の間のポテンシャル較差が実空間側で顕在化し、ある種のエネルギー勾配に基づく激烈な現象を引き起こす。堤防の決壊が惨禍をもたらすことになぞらえられたこの現象こそ、第1回起動実験で発生した事故の主要因である。このエネルギー勾配は、発見者の名をとってベルグソン勾配と命名された。
VC90年代初頭になると、それまで地道な改良を重ねてきたVコンバータが、一定の技術的水準に達する。本来の目的に加えて、ごく小規模であれば、ゲート・フィールドを介してT/Z境界を越境することが可能になっていた。ここでいう小規模というのは、境界に穿孔するサイズが素粒子レベル、つまり大きさの存在しない座標点を言う。このレベルであれば、ベルグソン勾配によって引き起こされるエネルギーの暴発は制御可能なものとなりえた。さらに、リバース・コンバート実用化の際にVコンバータに付加された機能を用いると、これを実空間で利用可能なエネルギーへと変換することもできた。得られるエネルギーは、BBBユニットのそれに比べればわずかなものだが、一体のVRを駆動するには十分過ぎるほどのものだった。
Vコンバータの改良は、さらなる余禄をもたらす。CIS侵入ユニットとしてのパフォーマンスが向上したおかげで、ゲート・フィールドの座標をT/Z境界上に正確に設定できるようになったのだ。つまり、CISへの完全な侵入はまだ困難だったが、「ちょっと首をつっこんでみる」程度にユニットを陥入させることは可能になったのである。その際、CIS侵入ユニットの有人部、すなわちコクピットも、ゲート・フィールドに守られる形でCIS内に滞留する。この結果、コクピット部分は、多くの物理的制約、特に実空間におけるVRの運動時の高加速による影響をうけることがなくなった。つまり、機体が有人兵器の限界を越える挙動をとっても、パイロットの身に致命的な危険は発生しないのだ。これらの副次効果によって、VRは規格外の有人兵器へと大化けする可能性を得ることになった。
8. 戦闘バーチャロイドの誕生
VRに対するDN社最高幹部会の関心は低かった。あるいは、低く装わざるを得なかった。これには理由があり、VC8f年以降の大がかりな実験の実態が外部に漏洩し、断片的ながらムーンゲートに関する情報がオーバーロードの耳に入ってしまったのである。当然、彼らは大いに興味を抱き、DN社へ接近、介入を試みた。これに対して最高幹部会は、自身の防衛と秘匿情報の管理徹底に努め、当面の間、OT関連の活動を控える方向で社内を統制しようとしていた。
ところが0プラントはこのような動きを無視して活動継続に固執し、自らが見出したものの有用性を実証すれば理解を得られ、道は開けるものと短絡した。選択肢は限られていて、結局のところ、商品としての可能性をアピールする以外に方策はなかった。それは、かつてXMUプロジェクトが目指していた、限定戦争市場で通用する戦闘興行用兵器への道でもあった。
VC96年、当時開発中だったXMU-04-C(後のMBV-04テムジン)とXMU-05-B(後のHBV-05ライデン)は、急遽、実戦用に装いを変え、極秘開催されていた限定戦争に投入された。結果は上々で、試作機であったにも関わらず予想以上の戦果をあげ、VRの持つ運動能力や戦闘能力が、既存兵器のそれを大きく凌駕していることを実証した。
当然、0プラントは鼻高々であったが、一方で最高幹部会は大いに困惑していた。秘密裏の開催とはいえ限定戦争は興業であり、不特定多数の者の目に触れる。必死に隠蔽しようとしていたにも関わらず、VRの存在はオーバーロードの知るところとなってしまったのである。今や彼らの介入は不可避となり、最高幹部会は戦々恐々としていた。
意外にも、降臨したオーバーロードの第四極アンベルⅣ(フォース)は寛大だった。DN社を一方的に難ずるようなことはせず、むしろVRを高く評価し、その商品化を強く推奨したのである。当時、限定戦争市場は成長の限界を指摘され、衰退が危惧されていた。だが、画期的ロボット兵器の投入が実現すれば、巨利を得ることも夢ではない。そしてそのチャンスを手にしているのはDN社だけである、と彼は主張した。
耳触りのよい話には、当然ながら裏があった。アンベルⅣは、OTの活用をVR開発に限定することを求めていたのである。つまり、ムーンゲート本来の機能であるところの転送システムや、それを起動するための鍵となるBBBユニットについては一切の研究活動を認めるつもりはない。かわりに、リソースを限定戦争の専用兵器、戦闘VRの開発に集中特化せよ、というのである。そうすれば、他のオーバーロードに対して自分はDN社を擁護するだろう、と。
アンベルⅣの意図は明白だった。仮にムーンゲートの機能が復元され、DN社がこれを独占すれば、地球圏の既存の権力構造は大きく揺らぐ。かといって、不用意に取り上げようとしても、むしろその後に所有を巡るオーバーロード間の抗争を招く可能性がある。必要以上に事を荒立てず、それでいて関係者に相応の利益配分が保障される枠組み作りをアンベルⅣは提案したのだった。
DN社最高幹部会の意見は大きく二分した。一つは、アンベルⅣの意向を汲み、それに従おうというもの。もう一つは、あくまでも独自路線を貫こうというもの。前者に比べて後者は少数派だったが、0プラントや、リフォー家の面々が含まれていた。0プラントにとって、あくまでもVプロジェクトの遂行こそが目的であり、戦闘VRの開発は、その価値を認めさせるためのパフォーマンスにすぎなかった。そしてリフォー家は、Vプロジェクトに多額の投資を行なってきた。彼らは、オーバーロードの一存でOTの大いなる可能性を手放し、新たな搾取の種を献上することに反発したのである。ところが、彼らの足並みはそろわなかった。リフォー家は、今回の介入が0プラントの独断専行に端を発するものと考えており、彼らを野放しにすればさらなるトラブルを生むものと危機感を募らせていた。一方で0プラントにとってのリフォー家は、プラントの運営方針にあれこれ口をはさむはた迷惑なスポンサーの一群にすぎなかった。本来、手を組むべき両者の間に確執が生まれるのは必然だった。
9. 第2次Vプロジェクト
結局、最高幹部会の一大派閥でもあるリフォー家が賛成に回ったことで趨勢は決し、DN社はVプロジェクトを大幅に軌道修正して再開した。計画は第2次Vプロジェクト(通常、単にVプロジェクト)と命名され、戦闘VRの販売を目的とした。統括責任者には、オーバーロードのアンベルⅣが指名された。
彼は、VRの販売をVCa0年に開始すべく、またそれまでは極秘裏に事を進めるべく、精力的に活動した。VRの生産を効率的に行なうため、9つの専用プラントを新設、傘下の軍事組織DNAには、VRを主装備とする部隊を創設させた。これは、想定しうる多様な条件下で、VRのパフォーマンスをアピールすることが目的だった。あらゆるニーズに対応した数々の限定戦争契約が締結され、DNAは設立以来未曾有の規模に膨れ上がっていく。
この間、商品ラインアップとして様々なVRが手がけられた。MBV-04テムジンHBV-05ライデンTRV-06バイパーSAV-07ベルグドルMBV-09アファームドHBV-10ドルカス、の6機種が主なもので、これらを総称して第1世代型VRと呼ぶ。
周辺商品の開発にも力が注がれ、特に、パイロットの育成は重要視された。VRの戦闘性能は、搭乗者のバーチャロン・ポジティブに依存する部分が大きい。つまり、人材の安定供給が、商品の成功の必要条件だった。DN社は、適性のある人間を募集、選抜し、厳格な訓練を課した。また、VRパイロットにふさわしい、より高いバーチャロン・ポジティブ値(VP値)を先天的に持つ人口素体(マシンチャイルド)や、後天的にVP値を高められた素体(Eリソース)の必要性が指摘され、開発がスタートした。
このような流れの中、DN社が一枚岩であったかというと、決してそうではない。そもそも、第2次Vプロジェクトの発端がオーバーロードの介入による強引なものだったこともあり、賛否を巡って社内の意見は二分し、大きな亀裂が生じた。その後も、流れにあやかろうとして巨大な利権に群がるもの、あぶれたもの、両者の確執は深まり、DN社を揺るがし、結果的に深刻な内部崩壊を招く遠因となった。象徴的な例として、VR誕生の最大の功労者だった0プラントは、性急な商品化の流れに難色を示したことを疎まれ、その後の開発業務から外されている。
10. シャドウ
有人機体としてのVRという観点からその成立様態を捉えると、人間と機械、そしてOTとのハイブリッドな構造体と見なすことができる。これらの要素は、「戦闘」というシチュエーションのもと、MSBSによってなかば強引に結合されている。結果、VRは極めて人間的なレスポンスを示しながら、同時に機械であり、それでいて解析不能の謎めいた存在となる。三者の均衡は安定性を欠き、不慮の事態が重なると、それがどんなに些細なものであっても制御不能になった。たとえばTRV-06バイパー系の機体は、開発段階から慢性的な自壊現象に悩まされている。バーチャロン現象が引き起こす精神干渉もVRの泣き所で、搭乗者を保護するVコンバータ用シールドについては、技術的限界が常に槍玉に挙がった。そして何より、シャドウの憑依したVRの暴走は極めて危険なものだった。
バーチャロン・ポジティブの高いパイロットがVRに搭乗し、MSBSを介してVコンバータと接続する際、異常なまでにコンバータの活性値が上昇する場合がある。この時まれに、シャドウと呼ばれる負の精神体が観測された。シャドウの発現したVRは、コンバータ内にパイロットを取りこみ、これを融合し、暴走(憑依)状態に移行する。それは、想定されたパフォーマンスを逸脱し、凄まじい戦闘力を発揮するが、機体が自律的に動作するため、外部からの制御を受けつけない。過去、目撃されたシャドウ憑依VRは、常に大きな惨禍をもたらした。
バーチャロン現象は、人間の脳神経の活動にフォーカスし、意識、無意識の別なくえぐり取る。そして、想定しえない混沌へと変換して対象者にフィードバックする。バーチャロン・ポジティブの低い者にとって、この現象による負担は極めて重く、発狂に至る場合も多い。MSBSが制御しているとはいえ、Vコンバータが、接続者に対して精神干渉作用を及ぼすことにかわりはない。断言はできないものの、シャドウとは、Vコンバータと人間との間の仲介をなすMSBSの構造的欠陥、ないしは機能的限界が遠因となっている可能性がある。
原因が特定できなかったため、シャドウは、その深刻さにも関わらず効果的な対処法が定まらなかった。また、Vプロジェクトを推進するDN社が、VRに内在する危険性を隠蔽したことも、事態を複雑にした。シャドウに関する情報は共有されることなく、実際にVRを運用する現場では、場当たり的な対応が横行する。決して効果的とはいえないものが多い中、リフォー家が設立した第8プラント(後のフレッシュ・リフォー)傘下の軍事組織、第8艦隊「白檀」は、シャドウ撃滅に特化した強力な装備を整え、一定の成果をあげた。
11. 0プラントの造反
 Vプロジェクトの本流から外された0プラントでは、一部スタッフがバーチャロン現象の徹底解明に取り組んでいた。彼らの本来の目的は、あくまでもムーンゲートの機能復元、BBBユニットの再生だったが、そこに至る前段階として、バーチャロン・ポジティブが高く、Vクリスタルとの交感精度に優れた人材を集中管理する必要性を感じていたのである。本社の承認を得ることなく活動を続ける彼らは、日陰者の意味をこめて、自らを「ザ・シャドウ」、あるいは単に「シャドウ」と呼んだ。チーム結成時の主任研究員はプラジナー博士で、彼は、後に大きな波紋を投じる様々な研究を、この時期に手がけている。
「ザ・シャドウ」では、常に目的達成が優先され、時には手段が目的化するような逸脱もあり、多くの非人道的実験が行なわれた。その過程において、シャドウに食いつぶされた犠牲者の、狂気が蒸着したVコンバータ、ないしはそれを装備するVRが多数生まれている。本来、このようなものは早急に処分されてしかるべきだが、彼らはそれをせず、結果、シャドウは外部に拡散する。また少なくとも7機の憑依機体を隠匿し、これらを対象に、制御技術の開発を試みていた。そしてその一部は、実用の域に達していたらしい。
プラジナー博士が姿を消した後、「ザ・シャドウ」は潜伏、地下活動に専念するようになった。後年、限定戦争の現場で時折り目撃される黒塗りのVR、俗に「影」と呼ばれる機体が彼らの手になることは確実で、中でも、VCa2年のサンド・サイズ戦役に出現した「四之影」なるテムジン系機体は、凄まじい戦闘力を発揮して注目を浴びた。
四之影
四之影
「ザ・シャドウ」は、極めて危険な存在であるシャドウ憑依機体を制御しえた可能性がある。「四之影」は、その実例として挙げられることが多い。
12. プラジナー博士の遺したもの
VC90年代なかば、プラジナー博士は3柱の至高のVRを創出する。CIS自由往還システムを搭載したこれらの機体は、各々VR-017VR-014VR-011と型番をうたれ、「アイス・ドール/エンジェラン」、「ファイユーヴ/フェイ・イェン」、「アプリコット・ジャム/ガラヤカ」という愛称を与えられた。有人制御を伴わず、MSBSさえ非実装のまま自律的な行動を可能とする彼女たちは、各々17歳、14歳、11歳の少女に相当する固有の人格を宿していた。また、実装する超高効率Vコンバータによって、身体データを自由に変えることができた。このため、CISを往来するだけでなく、人間とVRという二相間の可逆的変換能力をも併せ持った。実際に彼女たちが人の姿になると、身長体重はもちろんのこと、生理的な細目に至るまで、最早人間との区別は不可能だった。
それは事実上、真の意味でのVR、すなわちオリジナルVRの誕生を意味した。ムーンゲートとBBBユニットの発見以来、多大な犠牲をはらいながら果たせずにいた宿願の成就、人智のなしうる最善の解答である。
VR-014 ファイユーヴ/フェイ・イェン
VR-014 ファイユーヴ/フェイ・イェン
事態を知ったDN社最高幹部会は震撼する。彼らの存続は、OTの活用を戦闘VRの開発に限定することで保障されており、これに反すれば、オーバーロードの介入を招く。実際、アンベルⅣはそのように発言し、最高幹部会に迅速な対応を求めた。VC97年、0プラントは予告なしに強制調査を受けたが、すでにプラジナー博士は失踪、3柱のVRも姿を消していた。このうちアイス・ドールについては、VC9c年、火星よりさらに以遠のアステロイド帯で、機能停止したまま漂流しているところを発見、回収された。またアプリコット・ジャムについては、しばらくの間、実在しないものと考えられていた。だが、残るファイユーヴは活発に行動した。ある時は人間となって巷間をうろつき、歌い舞い、またある時はVRとなってCISと実空間との間を行き来した。
DN社は困惑する。VRの大々的販売を目論むVプロジェクトとは無関係に、VRが、しかも規格外の機体が、人目につく形で勝手に振る舞うのは問題だった。そもそもプラジナー博士は、いかにしてこのようなものを開発しえたのか? ファイユーヴは、DN社にとって貴重な資料、そしてそれ以上の意味と価値を併せ持ち、ゆえに追われる身となる。
しかし、彼女の性格は束縛を嫌う移り気なもので御しがたく、通常のやり方が通用しなかった。実力行使に訴えようとしても、VR形態時、胸部から発せられるハート型のビーム照射「エモーショナル・アタック」が脅威となった。そのハート型光輪は、通常の意味での武装ではなかったが、人間に多幸感のある衝撃を与えて行動意欲を減退させ、MSBSを機能不全に陥れる。効果は数時間後に消え、深刻な副作用をもたらすこともなかったが、ファイユーヴが追手から逃走する時間を稼ぐには十分だった。
進展しない状況にDN社は苛立ち、VC99年以降、徐々に活動が過激になる。任務を請け負うDNAは、虎の子のVR戦隊を躊躇なく用いるようになり、ついにVC9a年、大規模な捕獲作戦を実行した。Vプロジェクト統括責任者であるアンベルⅣの指揮下、精鋭の特殊重戦闘VR大隊を投入したのである。新開発のマシンチャイルドをパイロットとして登用したこの作戦は、確かに一時ファイユーヴを追い詰めはしたものの、結局は失敗に終わる。
最高幹部会は、プラジナー博士の置き土産に頭を抱えた。そしてなかば八つ当りのように、すべての責任を0プラントに押しつけ、これを解体した。
VR-017 アイス・ドール/エンジェラン
VR-017 アイス・ドール/エンジェラン
博士は何を企図してオリジナルVRを開発し、また何を思って失踪したのか。すべては謎の帳に包まれている。彼が、自身の知的好奇心を満たすだけのために、CIS自由往還システムを創り出したとは考えにくい。その背景には、彼の所属していた0プラントにおけるVクリスタル研究の暴走、その過程で拡散した負の遺産シャドウに対する贖罪の意図があったのかもしれない。
シャドウは、その発現の際、Vクリスタル(あるいはVコンバータ)を介してCISに固有の波動を放つことが知られている。博士は、異変を事前に察知するため、かつて坑道で飼われていたカナリアのような役割を、ファイユーヴに託そうとした可能性がある。3柱のオリジナルVRの中でも、際立ってCIS往還能力の高い彼女は、幾多の捕獲作戦を切り抜ける際、自身が備える高感度センサーの能力を巧みに使った。これは、シャドウ探知機能を流用したものと考えられる。
また自らを「影の番人」と称し、CIS内を巡航することが務めであるとほのめかす彼女は、VCa0年代になると、対シャドウ戦専門組織の白虹騎士団と緩やかな連携を保ち、彼らの活動を側面支援するようになった。
なお、第1世代型VRとしてDNAが制式採用したSRV-14は、ファイユーヴをベースに複製が試みられたものである。彼女自身は自らを「フェイ・イェン」と名乗る場合が多く、このためレプリカ機体もその名を継承している。ただし、オリジナルが有するCIS往還システムは装備されていない。
VR-011 アプリコット・ジャム/ガラヤカ
VR-011 アプリコット・ジャム/ガラヤカ
13. アンベルⅣとトリストラム・リフォー
ディフューズ・アルフレート・ド・アンベルⅣは、オーバーロードの中でも特に有力な五大極のうち、第四極を総べるアンベル家14代目の若き当主であり、一個人なのか巨大システムのアバターなのか判然としない存在だった。気まぐれで高慢、かつ耽美的な言動が誤解や反発を招き、決して評判が良いわけではなかったが、ある種のカリスマ性を有しており、周囲には常に熱烈な信奉者が群がっていた。
VC92年にDN社最高幹部会に招じ入れられた後、Vプロジェクトの統括責任者に就任したアンベルは、懸案であった9大プラント設営の陣頭指揮を執り、VCa0年に予定されるVR販売開始に向けて精力的に活動、着実に成果をあげた。もちろん、オーバーロードとはいえ単独で事をなしうるはずはなく、彼には協力者がいた。リフォー家の総帥、トリストラム・リフォーである。最高幹部会の主要メンバーにして、第8プラントをあずかるフレッシュ・リフォー社の長でもある彼は、Vプロジェクトの運営面を担い、貢献するところ大だった。アンベルⅣからの信望も高く、「我が盟友にして最良の理解者」と最大級の賛辞を贈られている。当然、DN社内ではその厚遇を妬む者も多く、だが彼は超然として気に留める風がなかった。
トリストラム・リフォーは、他者がそう思うような、オーバーロードの取り巻きの1人ではなかった。かつてフレッシュ・リフォーでは、第1次Vプロジェクトに多額の投資を行なっていた。ムーンゲートから発見されたOTの可能性に賭けたのである。彼らの目するところ、ムーンゲート(とムーン・クリスタル)は、ある種の巨大な情報送信ターミナルであり、電脳虚数空間を経由することで莫大なエネルギーを引き出すパワープラントだった。これの再起動が叶えば、それこそエネルギー供給といった面で旧来の地球圏の枠組みに依存する必要はなくなり、オーバーロードのくびきから脱することも不可能ではない。リフォーにとってVプロジェクトは希望だった。
ところが、極秘裏に進めていたプロジェクトをオーバーロードに嗅ぎつけられ、介入を許してしまった。相手は、根源たる五大極のうちの1人、アンベルⅣである。彼はプロジェクトを骨抜きにし、当初、DN社が目指していた「BBBユニットの再生、CIS突入システム構築」という大目的を、「商用ロボット兵器(=戦闘VR)開発路線」へとすり替えた。トリストラム・リフォーにとって、彼は諸悪の根源であり、およそ許容できない存在だったが、だからといってオーバーロードと正面から対立するのは愚策である。ゆえにリフォーは敢えて協力者を装い、将来に向けての布石を打つことに専念した。それはつまり、DN社内に跋扈する競合勢力の弱体化だった。目立つところでは、プラジナー博士の造反が明るみに出たのを幸いに0プラントの解体を先導した(その際、押収したものを密かに第9プラントへと移送した)。また、第2次VプロジェクトにおいてVRの開発と生産で頭角を現した新興勢力、月光閥を執念深く追い詰め、力を削ぎ落していった。やがてフレッシュ・リフォーはDN社内における一大勢力となり、実質ともに、アンベルと対峙しうる立場を得た。
結局のところ、VRの商品化に注力していたとはいえ、必ずしもDN社が一丸となっていたわけではなかったのである。そもそもムーンゲートが発見された当時から、OTの利用方法については論争が絶えなかった。アンベルⅣの介入後も、VRの商品兵器化による限定戦争市場の寡占を目論む主流派と、ゲート・フィールドの転送機能の再生活用で地球圏内の産業構造の変革を図る一派は、潜在的な対立関係にあった。彼らはやがて、利害の一致する者同士で派閥を作り、露骨に反目した。トリストラム・リフォーは表面上、主流派の立場をとっていたものの、腹に一物あることを疑う者は少なくなかった。
そしてアンベルⅣはそのような状況を俯瞰し、自身の望む方向へDN社を導くと同時に、一貫性に欠ける言動によって社内の対立を煽り、混乱と喧騒を楽しんでいた節がある。
14. ヤガランデの惨劇
VC9f年も残すところあと10数時間、すなわちVプロジェクトの最終段階になって事件が起きた。アンベルⅣが、謎の詩文を辞表がわりに姿を消してしまったのである。しかもあろうことか、自身が設立した9つのプラントを、独断で売却していた。
Vプロジェクトは継続不能となり、DN社は窮地に立たされる。事態収拾への対応は場当たり的で、最優先課題だった9つのプラントの買い戻しもままならない。最高幹部会に打つ手はなく、やがて指示系統に致命的な混乱が生じた。その余波は速やかに末端組織へ広がる。特に、南米に拠点を持つ第4プラント奪回のため、DNAが独断で大規模な部隊を出動させた一件は、大きな問題に発展した。当初、順調に思われた彼らの行動は、先行部隊の連絡途絶によって暗転する。未知の敵、XBV-13-t11 バル・バス・バウとの遭遇戦に巻きこまれたのである。XBV-13-t11は、かつて脚光を浴び、また忘れ去られたBBBユニットを下半身に装着する、強力な戦闘VRだった。
一方、第4プラントの管内には大規模な古代遺跡群があり、内部に突入した部隊は、浮遊する巨大な八面結晶体を発見した。それがアース・クリスタルと呼ばれ、ムーンゲート内のものと同様、太陽系全域に遍在するVクリスタルの1つであるなど、現場の兵士は知る由もない。そして直後、部隊は壊滅する。
その後の調査で、壊滅の原因はVクリスタルの精神干渉作用によるものと結論づけられたが、生存者の証言には、奇妙な内容が混じっていた。彼らは、ヤガランデなる巨大なVR様の機体(おそらく幻影である)から、攻撃を受けたというのである。
後にヤガランデの惨劇とも呼ばれるこの事件は、また、かつてプラジナー博士が手がけた3柱のオリジナルVRのうちの1つ、実在が疑われていたアプリコット・ジャム(ガラヤカ)について、認識を新たにする機会ともなった。
祭られるアース・クリスタル
祭られるアース・クリスタル
遺跡内部全景。南米に所在する第4プラント中枢部と思われる。ムーンゲート以外にこのような遺跡が存在していたことは、DN社最高幹部会も関知するところではなかった。VC96年に9つのプラントの設営エリアが指定された時、最初に決定したのはこの第4プラントである。そして推薦者はアンベルⅣであった。遺跡の実態について、彼が何らかの情報を持っていた可能性は高い。また封印されたVR-011及びヤガランデは、たびたび結界内に姿を現している。
15. ガラヤカの真実
ムーンゲート最深部でVクリスタル(ムーン・クリスタル)が発見されて以来、常に研究活動の最前線で活躍したプラジナー博士は、ある時期からオーバーロードのアンベルⅣと交流をもったといわれている。太陽系に遍在するVクリスタルのうち、アース・クリスタルが、南米古代遺跡深奥に祭られていることを知ったのも、その頃だった可能性が高い。
ムーン・クリスタルに先立って発見されていたにも関わらず、アース・クリスタルの存在は長らく秘匿されていた。なぜなら、この結晶体には極めて厄介な問題があったからである。俗に幻獣戦機ヤガランデと呼ばれる、異空間に封印された正体不明の破壊神が、古来よりアース・クリスタルを憑代として現界降臨する志向性を持っていたのだ。
人間の不用意な接触でバーチャロン現象が引き起こされるようになると、それまで休眠状態にあったムーン・クリスタルは徐々に覚醒の兆候を示し、またその影響を受けて、アース・クリスタルにも同様の現象が観測された。おそらく、ヤガランデを鎮める意図があって構築されたであろう古代遺跡内の結界は揺らぎ、放置すれば危険な臨界状態に達することは、容易に想像しえた。
アンベルⅣがDN社に介入した理由は、この点にもあったと推測される。当初から彼は、Vクリスタル間の連鎖反応を引き起こすリスクを指摘し、BBBユニット復元計画を批判した。そしてOT事業の目指すべき代替案として、商品兵器「戦闘VR」の開発を提示、Vプロジェクトを推進する。またその一方で、彼はプラジナー博士に近づき、ヤガランデに関する危険を知らせたのである。
対策を請われた博士は、異界の強大な破壊衝動の中に、ある種の幼児性とでもいうべき特異な性癖があることを知る。彼は、これを誘導してVコンバータ内に蒸着、強引にリバース・コンバートしてVR化した。そして、この機体を中継してヤガランデを制御すべく、研究に没頭した。この結果生み出されたものこそ、VR-011アプリコット・ジャムと呼ばれる機体である。
アプリコット・ジャムは、その幼女を思わせる外見に反して、極めて危険なVRだった。人知を超える破壊衝動を伴う幼い心は、人の手に余る怪物、すなわち「ガラヤカ」だったのである。さらに、Vコンバータを介して封印したことが災いし、それまで抽象的な存在に留まっていたヤガランデさえもが、VR的装いの破壊神として具体的な姿を現し始めた。
プラジナー博士は、世界を破滅へと導きかねないVR-011を、南米遺跡の禁制領域結界内に改めて封印した。同時に、太陽系内に遍く散らばるVクリスタルの完全制御を目指し、時空因果律制御機構(後に、タングラムというコードネームが付与された)の造営をも計画した。
ところが、これら人類の命運を決する大事業の数々は、いずれも未完のまま中断の憂き目をみる。プラジナー博士が失踪してしまったためである。そこに至る経緯は未だ不明ながら、博士自身の問題が要因の1つになっていることを指摘する声は多い。彼のOTに対する姿勢は誠実だったが、一方で頑なだった。志の面で多くを共有していたはずのトリストラム・リフォーに対しても、事業面での方針が気に入らないとして妥協を拒んだ。そして独自の研究活動に打ちこみ、確かに成果は素晴らしかったものの、時流を無視したものであることは否めず、不必要な摩擦を組織内に引き起こした。彼の存在を疎ましく思う者は、DN社内で常に一定数存在していたのである。
いずれにせよ、ガラヤカ、及びヤガランデへの対策は完璧なものではなかった。博士の失踪後のVC9a年、アンベルⅣがヤガランデ封印の補強作業を指示したとの話もあるし、また、VCa0年のOMG以降、南米遺跡の管理を一手に引き受けた第4プラント(後のTSCドランメン)は、アース・クリスタルの拘束体ブラットスを構築している。
16. ムーンゲート覚醒
第4プラント奪回のため現地に進出したDNAは、活性化したアース・クリスタル(及び、ヤガランデの幻影)によって壊滅した。その際、結晶体からは電子的絶叫とでも呼ぶべき奇妙な波動が放たれ、ムーン・クリスタルとの間に一時的な接続が生じた。直後、ムーンゲートが覚醒し、ゲート・フィールドを展開して周囲を飲みこんでいった。
一連の事件はオペレーション・ムーンゲートの発動へと発展していくわけだが、そのきっかけとなったアンベルⅣの失踪については不審な点が少なからずある。まず、なんといってもあまりに唐突だった。彼は、直前まで執務中だったのである。そして失踪後、彼の行方を追う動きで目立ったものはなく、確かにそれどころではない騒動に見舞われていたとはいえ、DN社の対応はいかにも緩慢だった。
これは、DN社内の抗争に原因があると考えるのが最も合理的である。すでに述べたとおり、表向きアンベルⅣと緊密な連携をとっているかにみえたトリストラム・リフォーにしても、実態は面従腹背、社内に居座るオーバーロードを煙たく思っていた。また彼は、0プラントの解体を先導した際、そこから押収したリソースを第9プラントへと移送、極秘裏に活動を再開させた。その最たるものは、時空因果律制御機構タングラムの開発だった。プラジナー博士の娘、リリン・プラジナーに託されたこの事業は、Vクリスタルの活性制御を基幹とする事象編集システムの構築を主目的としており、ムーンゲートが復旧した後は、その転送機能を管理する中核を担う予定だった。
地球圏の企業国家の中枢に属するリフォーのような者にとって、オーバーロードによる支配の頸木から脱することは宿願だった。そのための手段としてOTは不可欠であり、これを戦闘VRの開発に集約するのは浪費に過ぎない。リフォーが0プラントの成果を手中におき、これをさらに発展させるべく尽力するのは、ある意味当然だった。とはいえ、このような動きをアンベルⅣが問題視するのは時間の問題で、実際、失踪する直前の彼は、周囲に決断すべき時がきたことを仄めかしていたようである。Vプロジェクトも最終段階を迎え、Vca0年の戦闘VR一般販売開始を待つばかりとなっていたこの時期、最大の協力者でありながら造反者でもあったトリストラム・リフォーを切り捨てようとアンベルが考えるのは大いにあり得ることで、それを恐れたリフォー側が先手をとるべく思いきった行動に打って出たとしても不思議ではない。実際、彼はオーバーロードによる後の禍根を断つため、その存在の依りどころとなる根源のデータ群をことごとく破壊したのである。
もちろん、代償は大きかった。アンベルの存在を抹消することで、彼が密かに設定していたセーフティーロックが切れ、戯言めいた辞表から9大プラントの売却へと続く茶番が幕を開けた。翻弄されたDN社はことごとく対応を誤り、第4プラントからムーンゲートの覚醒を促すトリガーが放たれた。
VCa0年1月1日0時0分0秒、地球圏は未曾有の危機に直面する。覚醒したムーンゲートが、太陽砲なる重力制御シーケンスを起動したのである。放置すれば、地球そのものが一種の砲弾として太陽系外に射出されてしまう。まさにオーバーロードのアンベルならではの児戯とでもいうべきブービートラップだったが、地球圏は騒然となり、各地ではパニックを伴う暴動が多発する。DN社は無数の批判や告発の矢面に立たされ、情報処理のキャパシティは飽和した。
ところが、最初の衝撃がピークを過ぎると、事態は急変する。人々が、巨大なビジネスチャンスの到来に気づいたのだ。
それは、この時代を支配するメンタリティゆえの直感だったのかもしれない。彼らは生きることに麻痺していた。迫りくる目新しい危機を前にして、それに怯えることも含めて、人生をリアルに消費できる好機と捉えたのである。つまりそこには需要があり、商機がある。あらゆる産業が、久しぶりに訪れた真実味のある終末的状況に刺激され、著しく活性化した。人々は、太陽砲の脅威を告げる情報の詳細については、特に強い関心を抱いていなかった。むしろ彼らは、「ドラマ」を求めていた。シンプルな筋書きの、わかりやすい(消費しやすい)ドラマを。
「絶体絶命の状況に陥った人類を救うべく、選ばれた者が立ち上がる。そして滅亡は回避される(かもしれない)」
人々はこの筋書きに便乗すべく狂奔し、翻弄された。量子全裸系終末対応複合保険、絶体絶命超克軟式装甲材、終戦幻想風対戦型電子書籍、脳死安定クローン宅配、略奪系精子瞬速オーダーメイド……名称だけでは実態のわからない商品、新たな市場の創出が謳われ、数分、数秒毎に無数の企業が興り、同時にそれ以上の企業が倒れた。
17. オペレーション・ムーンゲート
事態は、DN社にとって正しく悪夢だった。しかし、危機に瀕した彼らには、「太陽砲の起動阻止=ムーン・クリスタルの破壊」というイベント、いわばリアルタイム・ドキュメンタリーへの「出演」を条件に、様々な出資や救済の申し出が殺到した。もちろん、ムーン・クリスタルの破壊が可能か否か、あるいは仮にそれができたとして、すでに起動している太陽砲のシーケンスが停止するのかどうか、議論の余地は大いにある。だが、ヒステリックな混沌の渦に巻きこまれたDN社に抗う術はなく、彼らは道化役を受けいれざるをえなかった。茶番劇は、なかば戯れのように「オペレーション・ムーンゲート(OMG)」と命名される。
強度は不安定だったものの、ムーンゲートはゲート・フィールドを展開しており、バーチャロン現象を警戒する必要があった。このため、唯一利用可能な有人兵器として、VRが投入されることになる。
当時、月に駐屯するDNAは、約120機のVRを保有していた。しかし、ムーンゲート覚醒時、多くの機体がVクリスタルによるシステム汚染を受けてしまう。汚染機体は人間側の介入を遮断して自律的な行動をとり、遺跡周辺に防御ポイントを形成していった。やむなくDNAは、月周回軌道上のドック艦に収納されていた約30機のVRを徴用する。
これらの機体はDN社開発管理局所属のもので、各部の仕様がDNAのものとは異なっていた。特にMSBSに関しては、全機種ともver3系がインストールされていた(DNAはver2系を使用)。ver3系は、VRの遠隔制御を目的としており、しかも徴用機体が装備するバージョンは、試験運用中のVRシミュレータ・ゲーム「バーチャロン」専用にカスタマイズされていた。
DNAは困惑する。VRパイロットが任務を遂行する際、彼らは一般人に混じってゲームをプレイしなければならない。人類の存亡がかかった状況において、これはいささか好ましからざる事態といえた。実際、パイロットの中には、就労拒否する者さえいたという。しかし、30機のVRのMSBSを換装している時間的余裕はなかった。結局、回線整備等、最低限の支援策をもって作戦は強行される。そしてこの様子は逐一、全世界に中継されることになった。
OMGはハプニングが続発する。特に、大型移動要塞ジグラットの出現は誰もが想定しえない出来事だった。突入部隊は、巨大な敵との戦闘に想定外の時間を費やし、このため、遺跡最深部の予定ポイントに到達できなかった。やむなく残余エネルギーのすべてをVRの主兵装に回し、遠距離射撃によるムーン・クリスタルの破壊を試みた。
直後、中継を見守る人々は息を呑んだ。クリスタルが、強烈な発光を伴う高エネルギーの放出を行なったのである。巻きこまれた突入部隊のVRは消息を絶ち、その後、大破した状態で月の周回軌道上を漂流した(なんらかの形で転送されたものらしい)。一方、放たれたエネルギーの奔流は、太陽系内外のあらゆる方向に散っていった。それは、遍在するVクリスタル、あるいはそれと同等の機能をもつネットワーク・ターミナルに向けられたものだった。いつ、何者が何のために設営したのか、依然として不明ではあったが、Vクリスタルを核とするネットワーク・システムは確かに存在し、機能を維持していたのである。
表向き、OMGは一応の成功を収めた。太陽砲の起動シーケンスは停止し、DN社は危機を切り抜けた。ただし、鳴り物入りで中継されたVRの作戦行動は、小部隊かつ散発的な戦闘に終始し、期待された内容には程遠かった。むしろ、支作戦で生起した特殊重戦闘VR大隊による無人機体との戦闘の方が、熾烈を極める状況だったといわれている。ただしこちらは、一般向けには中継されなかった。
そもそも太陽砲の停止は、本当にDNAの活躍によるものだったのか、疑問を抱く向きも少なくない。OMG直後は、突入部隊のVRによる決死的活動がもたらした成果である旨、告知や報道がなされたが、その後公表された情報とは様々な点で齟齬があった。
18. フレッシュ・リフォー台頭
OMGは成功裏に終わり、ムーンゲートは休眠状態に回帰した。
しかし、延命するかにみえたDN社は、災厄で負った傷を癒すことができなかった。もとより、ムーンゲート遺跡の発見以降、社内は常に揺れていた。遺跡そのものへの関与を懸念する声が根強くあったのはもちろんのこと、OTを活用して覇権的イノベーションを画策する者、それを避けたい既得権の所持者、あるいはオーバーロードの後ろ盾を利用して限定戦争市場への参入を目論む者……思惑や立場の違い、利害の不一致による確執は常態化していたといってよい。そしてOMG以後、体裁を取り繕う努力は消え失せ、各派の対立が表面化した。Vプロジェクトを支持していた主流派にとって、アンベルⅣの失踪は大きなダメージだった。彼らの結束は乱れ、非主流派はそこにつけこんだ。最大の実力者トリストラム・リフォーが事の収束に積極的な姿勢をみせず、これが最終的な引き金になった。DN社、そして最高幹部会は体制を維持する力を失い、VCa0年、地球圏最大規模を誇ったこの企業国家はもろくも瓦解、消滅する。
かつてVプロジェクトを担った9つの巨大プラントは、各々企業国家として独立した。彼らの名称と略号(カッコ内表記)は、以下の通りである。
  • 第1プラント ダンシング・アンダー (DU-01)
  • 第2プラント トランスヴァール (TV-02)
  • 第3プラント ムーニー・ヴァレー (MV-03)
  • 第4プラント TSCドランメン (TSC)
  • 第5プラント デッドリー・ダッドリー (DD-05)
  • 第6プラント サッチェル・マウス (SM-06)
  • 第7プラント リファレンス・ポイント (RP-07)
  • 第8プラント フレッシュ・リフォー (FR-08)
  • 第9プラント 固有名詞なし(略号なし)
※以降、プラント名は略号で表記
これら9つの企業国家は、ムーンゲートやVクリスタル由来のOT、及びそれを利用して開発されたコンテンツを有する、いわばOT業界の雄だった。DN社の崩壊を経て、オーバーロードの頚木を脱した彼らは、さらなる飛躍を目指して覇を競い合うことになる。
いち早く頭角を現したのは、FR-08だった。彼らの根拠地は南極大陸にあり、代々リフォー家の人間が中核となって運営してきた。業務の中心は金融部門で、VC90年代にはDN社傘下にあって資産運用を一任され、莫大な富を手にしている。彼らは、DN社消滅後、その傘下だった企業群の再編に努め、1年あまりで巨大な経済的支配力を手中に収めた。
盟主トリストラム・リフォーは、OT産業の振興に意欲的だったが、VR関連分野には否定的だった。DN社のもとにあった第8プラント時代、Vクリスタル由来のネットワーク・システムに可能性を見出し、0プラントへの投資にも熱心だった彼は、アンベルⅣの介入を快く思っていなかったし、限定戦争市場にも特に魅力を感じていなかったのである。
時代は変わり、主導権を得た今、リフォーは自身の意思を明確にする。VRつながりの諸事業は軒並み中止となり、関連部署や企業の多くは解散、ないしは売却の憂き目をみた。特に、ムーンゲートを管理するDU-01は、この流れのあおりをまともに食った。かつては大規模な研究開発部門を有して月光閥の一角をなし、OT業界で常に存在感を示してきたこの巨大プラントは、しかし、政治力に乏しかった。FR-08体制に組みこまれると抗う術もなく、単なる遺跡の管理組織へと改編される。進行中だった研究開発プロジェクトのほとんどは中断し、人材は散っていった。
ただしリフォーは、VR事業の根絶を望んでいたわけではない。それはある種のバランス感覚だった。旧DN社の趨勢は、Vプロジェクト以降、限定戦争市場への本格参入に傾いていた。彼ら旧勢力の多くを取りこんで肥大化したFR-08にとって、その主張を全否定するのは得策ではない。そこで、たとえばVRの研究開発に関しては、MV-03に限ってこれを許可し、また運用組織であるDNAの存続を認めた。しかし、その過程における高圧的な姿勢に対しては常に批判や反発が生じ、多くの禍根を残した。
19. 白虹騎士団
トリストラム・リフォーがVRを疎んじたのは、シャドウによるところも大きい。確固たる対策が講じられず、放置されたがゆえに拡散していった憑依VRの存在は、OMG以前から脅威だった。すでに第8プラント時代、自前の第8艦隊「白檀」をシャドウ対策に運用していたリフォーは、FR-08体制に移行した後、これをさらに発展させる形でホワイト・フリート(白檀艦隊)を創設する。事実上、地球圏最強の軍事組織となったこの艦隊は、シャドウ憑依VRの駆逐を専門とする実戦部隊、白虹騎士団を擁していた。騎士団には、常に最新鋭の装備と最優秀の精鋭、高額の予算が注ぎこまれ、特にVRパイロットについては、選りすぐりの精鋭が集められた。彼らの技量は、限定戦争で戦闘業務に従事するDNAのパイロットなどとは比べるべくもない、超人的なレベルに達していた。
騎士団筆頭は、数々の戦歴から生ける伝説となったレオニード・マシン卿。そして、全体を統括する団長職は、プラジナー博士の忘れ形見にして、天才少女の呼び声も高いリリン・プラジナーが務めた。当時、第9プラントに軟禁されていた彼女がこのような要職に据えられたのは、シャドウを狩り出す際にファイユーヴとの連携を重視する、リフォーの意思が反映された結果である。少女とオリジナルVRは、プラジナー博士を父とする、ある種の姉妹のような関係にあった。実際には、期待されたほど緊密な共闘体制が生まれたわけではなかったが、それでも両者の間には特殊なホットラインが築かれ、一定の情報共有が継続した。また、マシン卿は少女の能力を率直に認めて立場を尊重したため、騎士団全体の結束も高まり、組織運営は円滑だった。
しかし、彼らの恵まれた待遇と、任務の特殊性から生じる隠密行動の多さは、それを妬み、あるいは疎む者を生み出す要因ともなった。トリストラム・リフォーはVR無用論を唱えながら、自らの私兵には最新鋭の機材をあてがっている。シャドウ撲滅という大義名分だけでは説明しえない、矛盾した状況だった。
20. RNA
かつてVプロジェクトの担い手として隆盛を極めたDNAも、FR-08が推進する大規模なリストラの波から逃れることはできなかった。存続こそ認められたものの、これまでのような支援は得られず、独立採算制を求められたのである。彼らは限定戦争代行企業、要は単なる傭兵集団への転向を余儀なくされる。それでもOMG以降、地球圏における唯一のVR保有組織として脚光を浴びていたから、前途に期待を抱く向きもあった。ところが意外なことに、DNA内部ではVRに対する認識にまとまりがなく、運用方法も定まっていなかった。このため、鳴り物入りで限定戦争に参入したにも関わらず、現場ではVR本来の能力を発揮できず、市場の期待に反する形で評判を落としてしまう。
VCa2年、事態は急変した。演習中のDNAが、RNAと名乗る一隊と交戦状態に突入、壊滅的損害を被ったのである。RNAは、アファームド系、フェイ・イェン系と思しき新型VR、後に第2世代型と呼ばれる一連の機種をもって、DNA側を圧倒した。また、FR-08内でもほとんど知る者のいなかったタングラムの存在を暴露する等、戦闘以外にも多面的な活動を展開した。
彼らが何者で、どのようにしてVRを調達しえたのか、詳細を知る者は当時いなかった。しかし、様々な憶測が飛び交う中、徐々に彼らのパフォーマンスを面白がる風潮があらわれる。その際、FR-08は悪役に見立てられることが多かった。
DN社の崩壊によって最大の恩恵に浴したのがFR-08であるというのは、誰が見ても明らかだった。 「OMGをはじめとする一連の事件は、トリストラム・リフォーが陰で糸を引いていた結果ではないのか」
確たる証拠はなくとも、この手の話にはいくばくかの説得力があった。風評を育む流れは、RNAの出現以降エスカレートし、やがて「謀事を隠蔽する巨大企業国家(FR-08)」対「それを暴こうとする義賊集団(RNA)」というステレオタイプな構図がでっち上げられるに至る。
トリストラム・リフォーは世論の流れに不快感を抱き、RNAの正体を突き止めるべく大規模な捜査活動に着手した。またDNAに対しては、新型VRの開発を含む様々な援助を行なうことを決意する。こうして、限定戦争界にDNA対RNAという対立の構図が生まれ、以後、なし崩しに数々の紛争が興行化されるようになった。
RNAの実態が明らかになるのは数年後だが、出現当時から、単なる軍事組織とは趣を異にする集団であることは明白だった。確かにある種のパフォーマンス、及び活動資金を得る術として、彼らはVRによる限定戦争に依存していたし、積極的でもあった。だがそれは、彼らの多様な活動のうちの1つに過ぎなかった。
OMGからDN社の崩壊、そしてFR-08の台頭へと至る混乱の中、被害を被った人々や企業国家は、枚挙に暇がない。VCa0年以降、彼らは緩やかなアライアンスを形成し、多面的かつ広範な抗議や告発を展開する。RNAとは、こういった反主流の雑多な団体や企業国家の存在を背景に、その支援を受けて活動する集団だった。
彼らの中には、かつてVプロジェクトに携わっていた者も多く、その中断を恨む空気があった。特に、旧第2プラント系企業国家TV-02傘下の、VRを専門に扱うファクトリーでは、この傾向が顕著だった。彼らの中には、自身の手掛けた最新型VRのアファームドをDNAの戦闘興業に乱入させ、悶着を起こす形で溜飲をさげる者がおり、志を同じくする者同士で互助関係を結んだ。ここに、さらに支援団体も加わる形でRNAの軍事組織としての主要な枠組みが育まれていく。活動の中核となったTV-02系ファクトリーは、限定戦争におけるVRの有効性を立証すべく、訴求活動に熱心だった。将来的に、彼らは自身のイニシアチブのもと、Vプロジェクトを再興しようとする意図さえもっていたのである。
RNAが擁する第2世代型VR
RNAが擁する第2世代型VR
出現当時、RNA側の第2世代型VRはDNA側の旧型機体を圧倒した。
21. ロジスティックスV計画
トリストラム・リフォーは、木星以遠の外惑星系と地球圏を結ぶ、新しい物流システムを構築することに意欲的だった。外惑星系で産出する資源を地球圏に輸送する際、当時主流だったインペリアル・ラインが、宙航船舶依存の旧態依然としたものだったので、改善の余地があると考えたのである。ロジスティックス業界は、既得権益が複雑に絡みあう伏魔殿となって久しく、新規参入を拒み続けていたが、リフォーには腹案があった。Vクリスタルを核とするネットワークの転送機能を応用することで、まったく新しいシステムを構築するのだ。彼は、これこそがOT業界興隆の起爆剤になると確信、ロジスティックスV計画と命名して積極的に取り組む姿勢をみせた。
計画は、ムーン・クリスタルとアース・クリスタルの2極間転送実験からスタートする予定だった。双方のVクリスタルの管理については、月面側がDU-01、地球側をTSCの担当とし、後者についてはヤガランデの惨劇の再発を未然に防ぐため、幻像結晶拘束体ブラットスの構築を主軸とする対策が進められた。
極秘裏に進められた予備実験は順調に推移し、しかし中途でRNA側に情報が漏洩したためアクシデントが発生した。VCa2年、旧オーストラリア大陸の残滓、TAI(テラ・アウストラリス・インコグニタ)で開催されていた限定戦争興行サンド・サイズ戦役において、実験システムを盗用する事件が起きたのである。RNAの造反者と、DNA側の一部の者(SHBVD所属)が結託し、VRの強制転送、すなわち定位リバース・コンバートが、衆人環視のもと実行された。月面背側からTAIへと、瞬時に遷移して実体化するVRの衝撃的な映像が流れ、ピンポイント転送を可能とする高精度システムの存在が暴露されたのである。ロジスティックスV計画は発表前に公の知るところとなり、大きなダメージを被った。特に、VRの定位リバース・コンバートが成功したインパクトは計り知れず、インペリアル・ラインをはじめとする、流通業者主体の企業国家群からは、非難や反発が続出した。
一方、DD-05で開発された第2世代型VR HBV-502ライデンは華々しく初陣を飾り、評判になった。
定位リバース・コンバートしたVR
定位リバース・コンバートしたVR
DD-05が開発した第2世代型VRライデンは、月面背側からTAIへの定位リバース・コンバートを成功させた。
22. 顕在化する対立
やがて、当初絶対的と思われていたFR-08体制に綻びが生じる。それは、傘下のOT関連プラントの足並みの乱れとして顕在化した。自らの存続を至上命題とする彼らは、現行の体制に不安を抱き、新たな道を模索し始めたのである。その際、彼らが選択したのは、DN社時代に培った技術的基盤を活かし、限定戦争市場にVRを供給する道だった。
たとえば、いちはやく第2世代型VRを実用化したDD-05は、独自路線を指向する。自らの開発したHBV-502ライデンを、DNA、RNA双方に売りこむべく画策したのだ。残念ながら、これについては手際の悪さが災いしてFR-08の怒りを買い、横槍が入ってしまう。策謀に翻弄され、一連の限定戦争で本拠地を戦域指定されたDD-05は、廃絶に追いこまれた。
一方、TV-02は、VR開発に必要とされるOTの各種ライセンスを巡り、FR-08と対立した。彼らは法廷闘争に持ちこみ、暫定的な勝利をもぎとる。VCa3年、彼らが開発した新型機体RVR-68ドルドレイは、公然とRNAに販売された。
これがSM-06の場合になると、さらに状況は先鋭化する。本来FR-08側に与していたこのプラントは、VCa3年、アイザーマン博士とガキバ・マシュー大佐によるクーデター以降、一気に活動が過激になった。彼らはFR-08体制を頭から無視し、勝手気ままな行動を繰り返した。特に、マシュー大佐の率いる宙航艦隊がDU-01を急襲し、保管されていた大量のムーン・クリスタル質を強奪した事件は、注目を浴びる。放埒な振る舞いをFR-08に咎められ、一時窮地に陥ったSM-06は、TSCの支援を受けることで危機を回避した。
こうして、VCa3年後半からa4年初頭にかけて、旧DN社傘下にあった巨大プラント群は、2派に分かれて対峙するようになった。FR-08に対抗する勢力の領袖は、TSCがつとめた。当初彼らは、FR-08が推進する新たな体制づくりに同調し、ロジスティックスV計画にも率先して協力していた。しかし、徐々に両者の間の溝は深まり、それは後に「エンジェランの略奪」と呼ばれる事件によって、決定的なものになった。
FR-08派とTSC派の両陣営は、DNAとRNAの対立に相乗りする。彼らは各々FR-08/DNA、TSC/RNAという形でタッグを組み、限定戦争の場で鎬を削った。このような流れの中、当初、限定戦争への関与に否定的だったトリストラム・リフォーも、足元からの突き上げを無視できなくなる。さらに、同じリフォー家に属しながら公然とRNAに与するボーテクス・リフォーのような存在もあり、対応に苦慮する場面が多くなった。
23. アイザーマン博士
かつてDN社が独占していたOT技術も、時がたつにつれて、次第に流出、拡散していった。すると、既存のプラントやプロジェクト以外でも、突出した成果が生まれる事例が散見されるようになる。大抵の場合、成功を手にした者は、それをもとに一旗あげるべく、起業や売りこみに奔走した。それは報われて実を結んだり、挫折したり、悲喜こもごもの結果を生み出し、いずれにせよ、時代の波に飲みこまれて消えていくのが常だった。しかし、時には巨大な才能が常軌を逸した業績を成し遂げ、社会を大きく揺るがし、歴史に名を留めることもある。そして、アイザーマン博士にその資格があることを疑うものは少ない。
VC9d年、博士は火星においてマーズ・クリスタルの結晶鉱滓ブラックベリーを発見、調査過程において重要なアイデアを得た。そしてVCa0年、SM-06で、開発者としての活動をスタートさせる。
ここで彼は、第1世代型VRであるバイパーをテストベッドに、数種の新型機体案を検討した。その際、遠隔地への迅速な投入を可能にする機能性を重視し、2つのテーマを設定する。1つは、高速巡航用の航空機への可変機構。もう1つは、長距離遷移を実現する、VR単体での定位リバース・コンバートだった。
当時は、FR-08からVRの開発禁止を通告された時期だったが、博士はこれを無視した。そして盟友マシュー大佐と共謀、VRの膨大な実戦データを入手し、これをもとに可変機構を組みこんだ機体を完成させる。また、定位リバース・コンバートについては、ブラックベリーの研究中に得た着想をもとに、独創的な手法を編み出した。博士は、異なるVクリスタル質(たとえばアース・クリスタル由来、マーズ・クリスタル由来、等)による多層ディスクを焼成、これを搭載するハイブリッドVコンバータをもって、VR単体での定位リバース・コンバートを実現したのである。これは、FR-08が模索したロジスティックスV計画とはまったく異なる画期的なアプローチで、Vクリスタルの直接管理を必要としない点が実用的だった。
VCa3年、アイザーマン博士は研究の自由を確保するため、FR-08体制からの離脱を望み、マシュー大佐と共にSM-06を掌握する。また、多層ディスク生産用の資材を確保すべく、大佐の率いる艦隊と共にDU-01を急襲、保管されていた大量のムーン・クリスタル質を強奪した。
博士の開発した定位リバース・コンバートが地球圏で一般化するのは、VCa6年以降、第3世代型VRが普及した後のことだが、この技術がOT業界に与えた衝撃は計り知れない。ロジスティックスV計画に至っては、その意義が問われ、存続の危機に瀕するのである。
アイザーマン博士 並立三躯連環体のアイザーマン博士。個々の肉体は、左から順に各々Y、Z、Rのイニシャルを持つ。左右の2体(Y、R)は雌体であるが、中央のZ体は、デフォルトを中性とする雌雄可変体。(イラスト:竹)
24. MSBSver5
VCa2年を境に、VRを絡めた戦闘興業は衆目を集めるようになり、その流れの中でRNAは着実に自らの存在感を高めていった。彼らが擁するVRの能力的優越は当時まだ健在で、DNA側の機体を圧倒するシーンは多くの人に強い印象を与えた。彼らはパフォーマンスにも長けており、要所でFR-08を貶める挑発的な言動を行ない、巧妙な煽りを繰りひろげた。当初は事態を静観する構えをみせていたFR-08も、徐々にこれを無視することが難しくなる。それは内部の空気にも影響を与え、やがてトリストラム・リフォーの側近、俗に「0プラント派」と呼ばれる一派に対する批判という形になって噴き出した。
DN社の崩壊を機にトリストラム・リフォーが立ち上げたFR-08の新体制には、かつて0プラントに所属した面々が多く含まれていた。彼らはプラント内にあってリフォーと意見を同じくする者たちで、過去にOTの活用が戦闘VRに限定されたことを苦々しく思っていた。ゆえに彼らは、リフォーが主導するロジスティックスV計画を支持し、関連する形で、時空因果律制御機構タングラムの必要性を強く主張した。たとえ完成が困難だとしても、これこそが、遍在するVクリスタル群を制御する鍵になると考えていたのである。ロジスティックスV計画の実現を目指すリフォーにとって、結晶体の確実な制御法は喉から手が出るほど欲しいものであり、OTの活用に関して両者の目指すところは少なからず一致していた。
だが、興業戦闘の現場で生まれたDNA対RNAという構図は注目を集め、VRを用いたアプローチが市場に対して有効であることを実証した。新参の0プラント派を快く思わないFR-08内の一部勢力は、この流れを利用する。彼らは、MV-03を主体とするサポート体制を構築し、ユニット・スケルトン・システムを用いた新型VR、ボック・シリーズの大量導入をDNAへもちかけた。そうすることでRNAとの戦力均衡を実現し、戦闘興業のイニシアチブを握ろうと図ったのである。加えてボーテクス・リフォーのような造反組は国際戦争公司と連携し、各地でVRによる限定戦争のプロモートに奔走した。
かつてのVプロジェクトはその流れの中で大きな利権を生みだし、FR-08内にも深く根を張っていた。トリストラム・リフォーの意気ごみとは裏腹に、過去、アンベルⅣが蒔いた種を根絶やしにすることはできなかったのである。むしろ、その性急なやり方が反発を生み、組織の亀裂を招き、RNAにつけこまれる結果を招いてしまった。
対立は次第に先鋭化し、遂には、0プラント派が主導するタングラム関連の事業を公然と批判、先の見えないものに投資するより、今すでに手元にあるVRのリソースを活用して事業化すべきである、との主張が声高に語られるようになった。
トリストラム・リフォー自身は依然としてロジスティックスV計画に固執していたが、計画遅延に伴い、新たな資金繰りが必要になっていた。そこで彼は、VR関連事業を支持する人々の声を聞き入れ、限定戦争市場への参入を決意する。その際、市場を掌握する手段として、VコンバータのOS新規格MSBSver5の開発を指示した。当時のOSは、DNA側とRNA側のものとで仕様が異なり、限定戦争を主催する国際戦争公司は、規格の統一を求めていたのである。
一連の動きに対して0プラント派は強く反発したが、リフォーはこれを押し切り、結果、社内の力関係は大きく変動する。そしてOT産業の行く末を巡ってさらなる対立が進む中、VCa4年、何者かによって彼は抹消暗殺されてしまう。
25. 時空因果律制御機構タングラム
FR-08内の対立を激化させる要因ともなった時空因果律制御機構タングラムについては、それが第9プラントで開発されたということ以外、詳細を知る者はほとんどいなかった。
VC84年の発見以来、継続的に行なわれたムーンゲート発掘調査は、Vクリスタルにある種の転送機能が備わっていることを明らかにした。しかし、これは単に物体を地点AからBへと移送する、という類のものではなく、任意の事象αを別事象βへとすげ替えることを意味した。
この世界は決して唯一無二なものではなく、並行して存在する無数の世界の中の1つに過ぎない。それらは相互に干渉し、事象を規定する。1人の人間は決して1人ではなく、無数の並行宇宙にある無数の個人としての1人であり、各々の宇宙において固有の流れの中に存在する。
Vクリスタルは、この並行宇宙のありように強く干渉する。その活性状態が閾値まで高まると、CISにおいて異なる宇宙を交叉、事象の組み換えを引き起こす。これこそ、Vクリスタル最大の特徴とも言える事象転送機能だった。バーチャロン現象や、CISへと開口するゲート・フィールドは、この機能の副産物といっても過言ではない。
Vクリスタル制御の精度を上げて、事象転送機能を意のままに操ることができれば、ある世界で起きている特定の事象を、別の並行世界で起きているものとすげ替えることが、理論上可能となる。つまり、望むままに運命を調律することができる。それは、自らの可能性の限界を受容し、諦念と肩寄せあうようにして生きてきた人類にとって、望外の福音だった。そして、この福音を現実のものとするための手段こそ、時空因果律制御機構タングラムだった。
タングラム開発計画は、VC90年代、プラジナー博士をはじめとする0プラントのスタッフが立案した。当時、DN社内はVプロジェクトを中心に動いており、それ以外の計画が認可される可能性は低かったが、アンベルⅣはこれを黙認した。彼は、Vクリスタルの真の価値に気づいていたし、仮に意にそぐわない方向でOTの研究開発が進められたとしても、それが自身の目の届く範囲で行なわれる限りにおいては比較的寛容だった(当事者は極秘裏に進めているつもりかもしれなかったが、オーバーロードの目を盗んで事を進めるのは容易ではない)。計画の実行はトリストラム・リフォーに託され、彼は専用施設として第9プラントを設立、全額出資してイニシアチブを掌握した。そして、タングラムそのものの開発は、当時10歳にも満たない少女、リリン・プラジナーに委ねられた。
26. OMGの真実
かつてVプロジェクトは、アンベルⅣとトリストラム・リフォーの緊密な協力体制のもとで進められていた。しかし、立場の異なる2人の蜜月は長続きすることなく、ある時期を境にして関係は急速に悪化する。周囲を巻きこむ一連の政治的暗闘を経た後、VC9f年からa0年の狭間、アンベルⅣは姿を消した。そしてこの間、確実に1回、タングラムが起動した。
それが何者の手によるものかは不明だったが、アンベルの存在を抹消すべく行動を起こしたトリストラム・リフォーによる関与の可能性は否定しがたい。また、未完成のまま強引な起動を行なったため、タングラムは機能不全を起こし、接続されていたDN社のネットワークには無数の並行宇宙の雑多な情報が怒濤のように流れこんだ。結果、社内の管理システムは崩壊、災禍はアース・クリスタル、そしてムーンゲートの覚醒へと続いていく。その後、騒動が拡大してOMGを引き起こすことは先に述べてきたとおりだが、DN社にとってみれば、外部の喧騒よりもタングラムが損傷した方が打撃だった。そこで、一計を案じたトリストラム・リフォーは最高幹部会を説得、OMGの決行を促す。彼はその狂騒を目くらましに利用し、危険な状態にあったタングラムの復旧に取り組んだ。
VCa0年、喧伝されたムーンゲートの覚醒と太陽砲の起動は、虚構ではなかったにせよ、DN社にとっての真のミッションは、別のところにあったことになる。
27. リリン・プラジナーの擁立
トリストラム・リフォーの死後、FR-08で主流派となった人々は、Vプロジェクト復活に向けて動きだす。彼らはロジスティックスV計画を葬り、0プラント派を放逐した。さらにRNAの存在を追認し、DNA対RNAという構図のもと、国際戦争公司と提携して各地で大規模なVRのプロモーション興行を展開した。一連の活動は順調だったが、新たに生まれた巨大な利権を巡って内部抗争が発生する。
騒動はしばらく続くものと思われたが、意外な展開が待ったをかけた。トリストラム・リフォーによって葬られていたはずのアンベルⅣが舞い戻ってきたのだ。VCa4年、彼は前触れもなくTSCに姿を現し、FR-08に揺さぶりをかけるべく矢継ぎ早に行動した。「OMGは茶番であった」と嘯き当時の内幕を暴露、返す刀でRNAに肩入れし、2つのVR開発プラント、TV-02、SM-06を自陣営に引きこんだ。さらに、DU-01、MV-03といった、FR-08側の有力プラントにも秋波を送る。その巧みな立ち回りによって、FR-08陣営に属していたものの多くがTSC側に靡いた。
事ここに至って、内輪もめで揺れていたFR-08にも危機感が芽生え、難局を乗り切るべく諸々動きがあった。その一環として、彼らは新たな盟主を擁立する。当時15歳の少女だったリリン・プラジナーを、軟禁中の第9プラントから招聘したのだ。
意外な人事に、外部からは少なからず驚きの声が聞かれたが、彼女を担ぎ上げた人々にとっては各々の思惑が絡みあう中での最善の選択だった。まず、囚われの身だったとはいえ、少女は事実上トリストラム・リフォーの相談役を務めており、ある意味彼に最も近い人物であった。盟主亡き後、FR-08がその遺志を継ぐ姿勢を示すにはうってつけの人選だったのである。その一方で、年端のいかない少女を御しやすしとみる向きも少なからずあった。特に、Vプロジェクトの復興を目指す勢力にとって、この点は大きかった。抵抗を続ける0プラント派の慰撫はプラジナーに任せつつ、自分たちの利権を確保する動きを加速させる心づもりが彼らにはあり、すでにアンベルとも通じるべく密かに打診する一派もあった。
実のところ、少女はネゴシエイターとして有能だった。盟主の座を継ぐや否や、自ら動いて腹心の部下を周囲に集めるかたわら、反対勢力を宥和、排除して組織の健全化に努めた。その水際立った動きに、人々は驚嘆し、また当てが外れて落胆した。それでも、事情を知る者からすれば、事の成り行きは当然の帰結だった。確かにプラジナーは軟禁中の身だったが、同時に白虹騎士団の長として、FR-08内に隠然たる権力を有してもいた(騎士団長は匿名だったため、彼女がその人だったことを知る者は限られていた)。表立って行動を起こすことはなかったものの、常に政治的な動きは把握しており、また、信頼できる人材を騎士団内に確保していたのである。
彼女とトリストラム・リフォーとの関係は奇妙なもので、独裁者と虜囚という立ち位置の中で常に緊張関係をはらみつつ、互いへの理解には極めて深いものがあった。リフォーはプラジナーの才能を愛で、彼女は彼の志、つまり、オーバーロードの頸木を解き、地球圏に新たな活力を与えようとする意気込みを評価していた。他方、性急かつ独善的な行動については手厳しい批判を続け、都度、リフォーを激怒させた。それでも彼が少女を退けなかったのは、相手に対して一定の信頼と尊敬を抱いていたためである。
リフォーが暗殺された後、プラジナーは自らを待ち受ける運命を悟り、彼の遺志を継ぐ決意を固めた。それは彼のやり方を踏襲することを意味するのではない。さしあたってオーバーロードの影響力排除を重視した彼女は、主流派の望むVプロジェクトの再興を、FR-08独力で推し進める必要性を痛感していた。そこからもたらされる富の分配を適切に行なうことで内部に安定がもたらされ、そうなって初めて、リフォーが夢見たOTの活用が現実味を帯びてくるのである。
とはいえ、Vプロジェクトが標榜するVRを活用した戦闘興業については、現状、RNAとつながりを持つTSC陣営に分がある。プラジナーは形勢を立て直すべく、傘下の企業国家に対して働きかけ始めた。子飼いのRP-07はもちろんのこと、離反が危惧されたDU-01やMV-03に対しては説得に努め、TSC陣営に対抗しうるアライアンスの構築に注力した。さらに、トリストラム・リフォー体制からの変化、すなわち限定戦争市場重視の姿勢をアピールするため、VCa4年後半、当時としては最大規模の戦闘興行クレプスキュール戦役を主催した。
数ヶ月に及ぶ戦いの間、FR-08は傘下のRP-07と共にDNAを全面サポートする。そして、新型機MBV-707テムジンを投入するなど、矢継ぎ早の施策を講じ、これが功を奏した。FR-08/DNA陣営は、徐々にTSC/RNA側を圧倒する。最終的に勝利を得たリリン・プラジナーは、アンベルⅣを交渉の場に引きずり出した。
以後、両者は虚々実々の駆け引きを繰り広げるが、その際、手のうちには各々切り札を持っていた。アンベルⅣの場合、それは幻像結晶拘束体ブラットスだったし、プラジナーの方は、時空因果律制御機構タングラムだった。
28. 幻像結晶拘束体ブラットス
かつてトリストラム・リフォーがロジスティックスV計画を立ち上げた際、TSCは率先して協力した。計画を実現するためには、ムーン・クリスタルとアース・クリスタル、双方の管理体制を確立しなければならない。特に後者については、VC9f年に起きたヤガランデの惨劇の再発防止が必須だった。管理を一任されたTSCは、幻像結晶拘束体ブラットスの構築に着手する。
ブラットスは、8つの人工クリスタルとVコンバータによって駆動する、巨大な構造物だった。これら16基のユニットが展開する力場でアース・クリスタルを拘束、危険な精神干渉作用を遮断し、ヤガランデの出現を抑えたのである。稼働には膨大なパワーが必要で、個々の人工クリスタルには、機能強化のため、バーチャロン・ポジティブの高い適性者が1名ずつ計8名、強制封入されていた。ところが、その8名の怨嗟が暴発してアース・クリスタルと連動、ブラットスを巨大な攻撃体へと変貌させてしまう。構造上、クリスタルの安置された場所から外に出ることはできなかったが、強大な火力は脅威だった。
TSCはこの失態を隠蔽するが、ブラットスが変質する危険については、事前に承知していた。承知していながらなぜ強行したかといえば、アース・クリスタルの拘束に、重層する意義を見出していたからである。表向きは、ロジスティックスV計画に沿ったVクリスタル管理体制の確立がある。だが実際にはもう1つ、タングラムの運用阻止への布石という面があった。TSCは、FR-08がタングラムを専有することに危機感を抱いていたのである。
タングラムの起動には、遍在するVクリスタル群との交感連動が必要である。そこでTSCは、ブラットスによるアース・クリスタルの拘束を特異的に強化し、交感作用を遮断しようとした。だが誤算があった。怪物化したブラットスの維持には、想定以上のコストがかかったのである。その攻撃性ゆえ、人的、物的損失は日々増大し、関係者は悲鳴をあげた。
TSCとしては、可能な限り速やかにロジスティックスV計画を中止に追いこみ、ブラットスを解体して状況回復に努めたい。その一方で、FR-08のタングラム専有を阻止する方向では、影響力の維持を望んでいた。
アンベルⅣの復活を知った彼らが、彼と接触、打診したのは、その手腕による事態の打開を期待してのことである。オーバーロードは快諾し、VCa4年まで、公に姿を現すタイミングを窺っていた。
クレプスキュール戦役においてTSC/RNA陣営は敗北を喫したが、交渉の場に臨むアンベルⅣは楽観的だった。彼は、対峙するプラジナーがタングラムに執着していることを知っていたし、ブラットスを利用すれば、有利な条件を引き出せると踏んでいたのである。
しかし、彼さえも知らない意外な事実があった。すでにタングラムは失われていたのである。ブラットスによる交感遮断の制御は不安定で、調整が困難だった。試運転の段階から、必要以上の強度で動作することが多々あり、結果としてアース・クリスタルの拘束は過剰になっていた。影響を受けて衰弱したタングラムとの接続はやがて途切れ、本体はCISへと漂流してしまう。辛うじて接続が保たれたのは、FR-08と第9プラントにそれぞれ設置されている2つのターミナルだけだった。第9プラントの事実上の責任者だったプラジナーはこの事実を伏せ、接続状況について偽のログをTSC側に送り続けた。あたかもタングラムが現界に留まっているかのように思わせながら、相手の出方を見定めていたのだ。
オーバーロードに対してタングラム漂流の事実を隠し通せたことが、プラジナーの勝利の鍵だったことは間違いない。ブラットスの能力をちらつかせながらタングラムの独占を非難し、使用権の共有を求めるアンベルⅣに対して、彼の意図を見抜いていたリリン・プラジナーは、終始有利に交渉を進めた。彼女の最優先目標は、VRを用いる巨大な限定戦争市場を創出、利益を独占して、FR-08の覇権を確実にすることである。市場創出自体は、当初からTSC/RNA側が望んでいたことでもあり、ある意味、すでに両者の目指すところは等しい。問題はイニシアチブの所在だった。この点に関して、プラジナーには譲歩するつもりなど毛頭なかったが、そのかわり、タングラム使用権の公開を提案する。これを勝ち取りたいならば、FR-08と国際戦争公司が共催する限定戦争興行オラトリオ・タングラムに参戦し、規定のルートを介してCIS内のタングラムと接触せよ、と誘ったのである。
プラジナーの提案は歓迎された。敵味方を問わず、人々は自らの運命を操る誘惑に駆られ、思いを巡らし、結局は差し出された餌にとびついたのである。
幻像結晶拘束体ブラットス
幻像結晶拘束体ブラットス
29. オラトリオ・タングラム
リリン・プラジナーは、自らが開発に関与したタングラムの使用権を一般に開放し、その入手については、VRによる限定戦争の勝者たることを求めた。
そもそもタングラムは、未完成段階での無理な起動が祟り、完調には程遠い。その際の混乱がムーンゲート覚醒の一因ともなり、またOMGは、その事実を隠蔽する一面を持っていた。曰くつきのタングラムは、しかしそれを手中にすれば、無限ともいえる並行世界に関与して自らの運命さえも支配できるという。
かつて、アンベルⅣは以下のように発言した。 「無限の並行宇宙において、タングラムのみが1つの結節点として唯一無二の存在である。彼(彼女)は、運命を紡ぎ出す。彼女(彼)を得る者は、その運命を手中にする者であり、それは世界を手中にする者である」
それは、タングラムを巡る当時の人々の思いを代弁していた。
やがてVCa4年末、地球圏全域を巻きこむ一大戦役、オラトリオ・タングラムが開闢する。
期間は無期限、戦域は地球圏内無制限、勝者に与えられるのはタングラムによる運命編集権。
その規模は、従来の限定戦争とは次元の異なる巨大なもので、連日、各所で激しい戦闘興業が繰り広げられた。限定戦争市場は、未だかつてない活況を呈し、またこれは、OT産業にとってもエポックとなる出来事だった。VC90年代以降の紆余曲折を経て、ついにVRは確たる地位を得たのである。OTの落とし子は、戦闘エンターテインメントの枢要地位を占めるツールとして、以後、血塗られた道をひた走る。
30. タングラムとの邂逅
オラトリオ・タングラムでは、通常の戦闘が大規模な軍レベルで進行する一方、特に優秀なVRパイロットについては、タングラムへのアクセス権が優先的に入手できる機会が設けられていた。
だが、勝ちえた権利を実際に行使してタングラムとの接触に成功した例は、現在に至るまで知られていない。そもそも、仮に成功したからといって、期待通りの展開になる保証はないのである。自律意思を持つタングラムが彼らを拒めば、その身を並行宇宙のいずれかに転送する可能性さえある。そうなれば、彼らの行方を追うことはおろか、存在を知る術もない。事象転送機能が持つ、残酷な一面だった。
結局のところ、人が自身の運命を意図的に制御することなど、かなわぬ夢なのかもしれない。しかし、オラトリオ・タングラムは盛況を博し、時空因果律制御機構という言葉は、いつしか独り歩きを始める。それは成功願望の象徴へと姿を変え、むしろその方が人々にとっては都合がよかった。タングラムは謎めき、やがてそれは伝説と化して魅了する。邂逅を求めてオラトリオ・タングラムへと参戦する者は引きもきらず、地球圏は終わりなき戦闘祝祭に酔いしれるのだった。
時空因果律制御機構タングラム(接触拒絶系睨眼モード)
時空因果律制御機構タングラム(接触拒絶系睨眼モード)
31. 腐蝕する覇権
オラトリオ・タングラムは限定戦争市場を席巻し、VRを中心にOT産業の発展を促した。
VC70年代のXMUプロジェクトを伏流に、VC84年のムーンゲート発見を契機とし、VCa0年のOMG、その後の端境期を経てVCa4年、ついにVRは広く認知され、戦場に確固たる地位を築いたのである。
対立していたFR-08とTSC、各々を統べるリリン・プラジナーとアンベルⅣは、その後、奇妙な共生関係を築いていく。オラトリオ・タングラムは、両者の妥協が生み出した産物だった。電脳暦始まって以来の大戦役は、商用VRの運用等、OT産業を担う諸勢力に投げ与えられた餌となり、稀有の成功をおさめる。巨万の富を得たFR-08は、名実共に地球圏の盟主となり、その栄華は永続するかのように思われた。
だが内実は、様相を異にする。256系統に分派するリフォー家の一族は、膨大な収益の配分を巡って内紛を繰り返し、度重なる権力闘争の果て、仲介と調整役を担うリリン・プラジナーの存在さえ疎むようになっていた。
地球圏最大の企業国家は豊饒に溺れ、しかしその背後では密かに、そして確実に、不穏の兆しが現れ、世界を軋ませていく。
32. 漂流するタングラム
オラトリオ・タングラムに沸く電脳暦の地球圏から遁走し、CIS漂流を始めた時空因果律制御機構タングラムは、以後、無限ともいえる事象交錯の触媒となった。時にそれは、異世界への接触や、異なる時空位相への干渉を伴なう大規模なものへと発展し、各々の世界に、容易には消えない爪痕を残した。
これらの事例は、電脳暦の世界から直接観測できるものではないが、並行世界をより俯瞰的にみることさえ叶えば、概要はうかがい知れる。たとえば、同じくCISを漂流するオリジナルVRのファイユーヴは、早い段階からタングラムに興味を抱き、彼女にしか感知しえないピンをうつことでその行方を追った。そして、気が向くと随伴し、行く先々で混乱を目の当たりにした。彼女は、その様子を直接、あるいは間接的にリリン・プラジナーへと伝えている。両者は、マテリアルこそ違えど、プラジナー博士が生み出した娘であり、姉妹であり、折に触れて情報を共有するネットワークのハブとして互いを認識する存在でもあったので、その行為自体はさして特殊なものとはいえない。しかし、行く先々でタングラムが巻き起こす突飛な事件の数々を知るたびに、プラジナーは頭を抱えていたらしい。
たとえば、地球が星紀暦という暦を用いている世界では、電脳暦における時系列が圧縮される形で挿入され、不可思議な事態が発生した。そもそも星紀暦の世界とは、複数の世界線が交叉する風変わりな時空間で、人型機動兵器の集結が頻繁に起こるという特徴がある(このような世界は多元的に並立しており、さらに、そういった並立世界群が複数存在する事例もあるとされる)。ここでタングラムは、VCa8年以降の電脳暦における事象(主にVRと、そのパイロット)をトランス・コンバートによって持ちこみ、現地の紛争に介入した。そうせざるを得なかったのは、後述するダイモンの関与があったためとも考えられるが、彼女自身がこの災厄を招き寄せた可能性も否定できない。事態の収束を図るべくファイユーヴも現地へ赴き、ただ残念ながら、例によって彼女自身が現地の人々との交流を楽しんでしまい、速やかな解決には至らなかった。
また、学園都市と呼ばれる極東の大都市を中心に、独自の科学技術と魔術が混淆する世界を見いだしたタングラムが、これに接触を試みた事案も共有されている。こちらは話がやや複雑で、事の発端はオラトリオ・タングラムに遡る。過酷な戦闘を経てタングラムへのアクセス権を得た者がそれを行使した際、彼女に拒絶されて並行宇宙に転送された例は少なからずあったらしい。彼らの多くはそうと知ることもなく、放りこまれた別の世界での生活を全うしたものと思われるが、それとは別に、転送に失敗してCISを永劫彷徨う羽目になった者も存在した。おそらく彼らは自らの運命を呪いながら事切れていったことだろうが、そのような場合、Vコンバータに搭乗者の残留思念が色濃く蒸着する可能性がある。ただし、CIS内ではVコンバータも稼働時間に限りがあるため、程なく自壊してしまう。あるいはそうなるはずだった。
事態を面倒にしたのは、アイザーマン博士である。博士は、オラトリオ・タングラムの最中にあってタングラムが現界に保持されていないのではないかと疑っており、すでにCISへと姿を消したものと予想していた。確証を得るためCISにVRを放つことを決意、サイファー2000と呼ばれる機体を特別仕様に仕立てあげた。生還が保障できなかったので、パイロットについては正規の人材を諦め、生体リソースのメンタル・モジュールを使用した。博士はこの機体を戯れに「ストーカー」と呼び、都合6機をCISへと放った。内、3機がCIS突入に失敗して全損、2機が帰還し、残る1機は未帰還となった。帰還機から得た情報によって、現界におけるタングラムの不在を確信した博士は、それで気が済んだのか、未帰還機の回収には無頓着だった。おかげで、失われた機体のその後の消息は不明となった。
しかし、別世界に存在する学園都市では「ブルーストーカー」なるサイファー2000に酷似した機体が出現しており、ここから、ある種の仮説が構築しうる。アイザーマン博士の放ったVR「ストーカー」は、CIS内を長期間巡航する能力を持ち、同時に、タングラムの行方を探るための超高感度センサーを多数装備していた。あくまでも推測の域を出ないが、タングラムによってCISに転送されたVRないしはその残骸に残るパイロット達の残留思念が、このセンサーに引き寄せられるように集まり、機体に浸透、凝縮されていった可能性は否定できない。
多くの妄執に憑依されたVRは、彼らが求めるままタングラムの行方を追い、CIS内を彷徨う。やがてたどり着いた先の世界で「ブルーストーカー」へと転生する。これに対してタングラムの事象転送機能は防衛的に働き、トランス・コンバートによって自身の生みの親であるリリン・プラジナーに擬した人格が生まれた。後に彼女は自らを富良科凛鈴と名乗り、ブルーストーカーと相対する。両者の邂逅が学園都市融解の危機を招いたとするファイユーヴの報告が真実なら、タングラムの介在によって異世界が被るインパクトの大きさは、看過しえないものがある。
ファイユーヴを介して逐次共有される話に憂慮の度合いを深めたリリン・プラジナーは、タングラム召喚の是非について検討を始める。やがてこれが実行に移された時、彼女は新たな敵ダイモンと対峙することになるが、それについてはあらためて後述する。
33. アイス・ドール
時は遡り、VC9c年。
火星からさらに以遠のアステロイド帯で、ひとりの少女が発見された。
正確に言えば、少女の態をしたなにものかである。一糸まとわぬ姿は燐光を放つ半透明の結晶内に封印され、夢みるように虚空を漂っていた。肉体年齢は17歳程度。人々は、それがプラジナー博士の忘れ形見、VR-017「アイス・ドール(オリジナル・エンジェラン)」であると知り、驚愕した。
当時、DN社でVプロジェクトの推進に辣腕を振るっていたオーバーロードのアンベルⅣは、VR-017発見の報をきくと、秘密裏に第4プラント(後のTSCドランメン)へと移送させた。少女はそこで拘束衣を装着され、囚われの身となる。
監禁中のアイス・ドールは、ほとんどの時間を休眠状態で過ごした。たまに覚醒すると、都度アンベルⅣが駆けつけて幾ばくかの対話がなされた。話の内容が攻性結晶構造体と呼ばれる存在と、その危険性についてのものであると知るのは、一部の側近だけだった。
夢みるアイス・ドール
夢みるアイス・ドール
虚空を漂っていたVR-017は、回収後、TSCにて拘束衣を装着された。
その姿を象る形で開発されたものが、SGV-017等のエンジェラン系VRである。(イラスト:竹)
34. 攻性結晶構造体
VCa0年代、VRのパイロット達は奇妙な現象に悩まされていた。突然、何の前触れもなく、虚空から謎の構造体が現れ、攻撃を加えてくるのである。それはVクリスタルから直接実体化した異形の存在で、攻防、運動能力共に圧倒的だった。出現頻度が増すにつれ、その姿は徐々にVRを模したものになっていった。
アンベルⅣは、アイス・ドールとの対話を通じて、それが「アジム」と呼ばれる攻性結晶構造体であることを知った。アジムは、ムーンゲートに限らず、太陽系全域に散らばるVクリスタルのネットワークを介して侵入してくる。その目的は定かでないものの大きな脅威であり、これまでVR-017アイス・ドールが人知れず迎撃に力を尽くし、危機を未然に防いでいた。
しかし、長い孤独な戦いの中で彼女は傷つき疲れ、大幅にパフォーマンスを低下させていた。このままでは、彼女が築き上げてきた防御システムは遠からず崩壊する。助力を請うため、VR-017は敢えて姿を晒したのだった。
アンベルⅣが、アイス・ドールの訴えにどの程度の理解と共感を示したのかは、定かではない。とはいえ、少なからぬ関心を抱いたのは確かであり、程なくして彼は攻性結晶構造体の調査に夢中になり、Vプロジェクトへの意欲を失ってしまう。数年後のVC9f年末、トリストラム・リフォーに寝首をかかれたのも、この辺の事情が関係している。そもそも、オーバーロードが下層に属する者に対して不覚を取るなど、通常であれば考えがたい。おそらくアンベルは敢えてそうなってみせたのであり、彼なりに思惑があってのパフォーマンスだったのだろう。敢えて「消されて」おくことで、一時的に雲隠れしようとしていたのだ。そうまでしてやりたいこと、あるいは、そこまでして自身の時間を確保しないとできないことがあったというわけで、攻性結晶構造体に対するその後の彼の関わり方をみれば、それが何であったのかは明らかである。
アンベルは自らの潜伏中、子飼いの監察者、薔薇の三姉妹に攻性結晶構造体の調査活動を命じている(「ヴァーティカル・インパルス」参照)。彼女たちは主の意を汲み、攻性結晶構造体が出現した現場を精力的に検分して回った。調査は数年にわたり、範囲については地球圏はもちろんのこと、遠く火星圏にまで及ぶ。集められた情報を徹底的に分析することで、アンベルとしては納得のいくところまで結晶構造体への理解を深めておきたかったようだが、そうは問屋が卸さなかった。折しも世間ではDNAとRNAの抗争が激化してのっぴきならない状況となっており、TSC/RNA陣営に泣きつかれたアンベルはやむなく公の前に姿を現し、リリン・プラジナーと対峙した。そこでOTの利権抗争をオラトリオ・タングラムという形で決着させると、彼は再び公の場を去り、攻性結晶構造体の問題に精力的に取り組んだ。
やがてVca8年になって準備が整うと、アンベルは打撃艦隊フォースを擁して木星圏へと進出、攻性結晶構造体との戦闘の傍ら、対立するオーバーロードの勢力圏を荒らしまわった。彼が引き起こした争乱は、後に「木星継承戦争」と呼ばれるようになる。
攻性結晶構造体アジム
攻性結晶構造体アジム
35. アダックス
オラトリオ・タングラムが地球圏全域に拡大し、運営体制が確立していくに従い、その主導権はリリン・プラジナーの思惑通り、FR-08が掌握する。オーバーロードの介在を断ち、地球圏の関連企業国家が協同して新たな限定戦争の興行を始めようという彼女の趣旨に賛同して手を組んだ者たちは、少なからず失望した。傘下の巨大プラントにして最大の協力者だったMV-03も、例外ではなかった。オラトリオ・タングラムの運営に際して、彼らはその技術面、特に、汎用性の高いボック系列VRの供給やメンテナンス、さらには物流部門で大きく貢献した。ところが、配分される収益は全体の1割にも満たない。それは確かにMV-03の懐を潤したけれども、実際には、その10倍近い膨大な金額がFR-08に流れこんでいたのである。彼らが自身の寄与した内容を顧みた時、交渉の余地があると考えるのは無理からぬことだった。
しかし、FR-08は再三の申し出を拒絶し、むしろ高圧的になった。認めていた特別待遇を取り消し、他プラントに付与することさえほのめかした。両者の主張は噛みあわず、周囲の懸念をよそに、亀裂がひろがっていった。
一方、国際戦争公司も、FR-08の驕りに嫌気がさしていた。有力な興行組織である彼らにとって、オラトリオ・タングラムの運営が意のままにならないのは苛立たしい。経緯や力関係上やむをえない面もあったとはいえ、したたかな彼らが唯々諾々と受け容れるはずもなく、つけいる隙を虎視眈々と狙っていた。MV-03と国際戦争公司が歩み寄るのは、ある意味、当然の帰結だった。
両者の接触は、突然始まったものではない。すでにVCa2年頃から、VRを用いる限定戦争興行について、彼らは独自の枠組みを模索していた。リリン・プラジナーの主導するオラトリオ・タングラム構想によって、表向きは一旦中断したものの、流れはその後も綿々と続く。
予備調査を経てVCa4年、国際戦争公司は火星に照準を定めた。テラ・フォーミングなかばで放棄されたこの惑星を、新たな興行の場とするプランを立案したのである。MV-03は、これに前向きな姿勢を示す。両者は新規にアダックスという名の開発プラントを設立、新天地への第一歩を踏み出した。
36. マージナル
アダックスは出鼻をくじかれた。火星圏に足を運んでみると、そこにはすでにVRがいたのである。しかも、第2世代型では実用化が困難だった定位リバース・コンバートを自在にこなす、ある意味、地球圏の技術レベルを凌駕する機体が、当たり前のように活動していた。当の機体はYZR-3900 マイザー39と呼ばれ、アイザーマン博士が独自に開発したものだった。
博士は、かつて火星でマーズ・クリスタルの鉱滓ブラックベリーを発見した折、マージナル(Marsinal)と接触していた。マージナルとは、前暦の火星テラ・フォーミング事業の際に入植し、その中止に伴って置き去りにされた者たちの末裔である。余儀なくされた孤立から、彼らは独自の生活形態を築き上げ、地球圏との関わりを極力避けてきた。だが、博士は受け入れられ、そのエキセントリックな性格にも関わらず丁重に扱われた。博士はその恩義に報いる。彼が開発したVRの定位リバース・コンバート機能は、同時期に地球圏でリリースされたYZR-4200(RVR-42)サイファーでは非実装だったが、マイザー39では標準装備となり、本機はマージナルにのみ販売された。
この件についてFR-08が関知していないはずはなく、実際、VCa3年の段階である程度のことは把握していたようである。しかし地球圏外ということもあって彼らは不干渉の姿勢をとり、情報を明らかにはしなかった。マージナル側も、マイザー39を火星圏内での実務的運用に限定し、ことさら存在を明らかにしようとはしなかった。このため、予備調査の段階でアダックスがこれを知る機会はなかったのである。
YZR-8000 マイザー
YZR-8000 マイザー
マイザー系VRは、火星圏での運用を前提に開発が進められた。可変機構(上図参照)と定位リバース・コンバート・システムを両備する画期的な機体である。
37. 火星戦線
極端な拒絶ではなかったにせよ、マージナルはアダックスの進出を歓迎しなかった。棄民であることを自覚している彼らが、かつての故郷からやってきた人間達を無条件に信用するはずがない。しかし、孤立主義に拘泥するほど頑なでもなく、幾ばくかの条件闘争を経て、両者の間には協定が成立する。マージナルは、火星圏に限定戦争市場の構築を認める見返りに、そこから上がる収益の3割を受け取る権利を得た。
また、アダックスが自前のVRを開発する際に必要となる技術についても、アイザーマン博士の同意を得てライセンス・アウトされた。主要なものは2点あり、定位リバース・コンバート用ハイブリッドVコンバータ、及び、マーズ・クリスタルの干渉作用を克服するフィルタリング法である。
しかし、アダックスが解決すべき課題は他にも山積していた。特に、マーズ・クリスタル質の確保は重要だった。火星圏で稼働するVコンバータ用のVディスクには、マーズ・クリスタル由来の結晶質が必須だったのである。困難な交渉を経てマージナル側が輸出に合意すると、ようやくアダックスは新型VRの開発に着手できるようになった。結果、生み出されたボックス(VOX)系VRは、後に第3世代型と呼ばれる最初の機体群となる。
VCa6年、アダックスは限定戦争の新たなフィールドとして火星戦線の設立を宣言、プロモーションを開始する。当初、オラトリオ・タングラムの盛況もあって、辺境の星での運営や可能性に疑念を抱く向きも少なくなかったが、FR-08の専横を敬遠する風潮は確実にあった。たとえばRNAの場合、マルチ・マーケット戦略を採用、地球圏と火星圏とで各々tRNAmRNAと組織を二分し、火星戦線に参入した。VRメーカー大手であるTV-02がこの動きに同調すると、関連企業も徐々に参入へと舵を切るようになる。
38. リリン・プラジナーの追放
オラトリオ・タングラムに先立ち、リリン・プラジナーとアンベルⅣは密約を結んでいた。ブラットスの解体に伴い、弱体化した封印を破ってヤガランデが現れるのを阻止するため、両者は禁断の祭祀を行なうことに同意したのである。ヤガランデの供犠と呼ばれるそれは、アース・クリスタルの安置された禁制領域において、定期的に生贄を供する。破壊神を鎮めるため、贄には、優れたバーチャロン・ポジティブと闘争心を併せ持つ人間、すなわち優秀なVRパイロットが求められた。実際のところ、この祭祀は対症療法的な効果を発揮し、しばらくの間、ヤガランデの顕現を最小限に抑えこむことに成功する。ただし、手法が問題視されるのは避けられなかった。VCa5年にFR-08内で実態が暴露されると、これを主導したリリン・プラジナーには批判が集中し、彼女の立場は不安定なものになる。贄に供されたのがRNA側のVRパイロットだったこと、さらに、彼を救出するために白虹騎士団員を派遣していたことなど、事実が明るみにでるたびに指弾の材料とされ、スキャンダル扱いされた。この一件は、普段は反目しあうリフォー家の各派を反プラジナーで結束させる。彼らは、かつてTSC陣営がアンベルを担いで対立の姿勢を示した時、御しやすしとみてプラジナーを擁立した(意に反して彼女は優秀で、傀儡に甘んじることはなかった)。また、オラトリオ・タングラムが予想外の成功を収めたため、そこから上がる収益をリフォー家で独占しようと目論んだ。総じて彼らはプラジナーを疎ましく思い、梯子を外す機会を狙っていたのである。ヤガランデの供犠は、彼らにとって格好の材料となった。
リリン・プラジナーは文字通り四面楚歌の窮地に立ったが、トップの座に執着がなかったため、責任をとる形であっさりと辞意を表明する。一旦は慰留され、しかし休暇で地球を離れた直後、彼女は罷免され、帰還も許されなかった。事実上の追放である。さらに、禍根を残すことをおそれたリフォー家の一派が、刺客を放った。プラジナーは幾たびか際どい危機に見舞われ、都度、近侍の少年、焔輝などの活躍もあってこれを逃れ、VCa6年、火星へと落ち延びていく。少女と行動を共にしていたのは、わずか7名だった。
思わぬ展開に動揺したのが、団長を失った白虹騎士団である。団内は二派に割れ、あくまでもプラジナーの支持を訴える者がいる一方で、大勢に従い職務を全うすることを是とする声もあり、また後者は多数派だった。対立は続き、しかし、さらなる苦難が彼らを襲う。FR-08の直轄となった騎士団は、シャドウ撃退を請け負う24時間営業デリバリー・サービスへと、業務内容の転換を迫られたのである。オラトリオ・タングラム開闢以来、各戦地ではシャドウ出現のリスクが高まり、この手の業態にはかなりのニーズがあった。ビジネス的には妥当な選択だったとはいえ、それまでとはまったく異なる待遇のもと、理不尽な激務を強いられた騎士たちの負担は大きく、一部の団員はモチベーションとモラルを失う。中にはプラジナーを逆恨みし、復讐を企てる者さえいた。実際、彼女は地球圏を脱した後、火星にたどり着くまでの間、そして到着してからも、たびたび命を狙われている。
39. 潜伏するリリン・プラジナー
火星圏に身をひそめたリリン・プラジナーは、依然として身の安全さえ心もとない状況だった。彼女に付き随う者はすでに5人を割っており、彼らは追手から主の命を守るべく献身したが、いかんせん限界があった。早急に外部から協力者を得る必要があり、ところがこれが容易ではなかった。特に、アダックスから支援を断られたのは痛手だった。自らを放逐したFR-08と対立関係にあるこの大企業国家ならば、なんらかの形で援助が得られるものと期待していただけに、プラジナーは落胆する。
これには伏線があった。実は、彼女は以前から第6プラントのサッチェル・マウス(SM-06)、特にガキバ・マシューと折りあいが悪く、この点が災いしたのである。SM-06と友好関係にあったマージナルは彼女を煙たがり、波風を立てたくないアダックスも、手を差し伸べるのを控えた。
孤立無援のプラジナーは、しかし不屈だった。彼女は新たな標的を見出していたのである。それは後にダイモンという名で知られるようになる、謎のネガ・システムだった。プラジナーは張り巡らした情報網から敵の姿を追い、また力を蓄えた。彼女の執念は、後に特捜機動部隊マーズ(MARZ)へと姿を変え、強大な敵を討つ剣となる。
40. FR-08の干渉
火星戦線の運営が軌道に乗りだすと、競合市場の成長を危惧するFR-08は、ことあるごとに干渉を試みるようになった。正面きっての対立を回避したいアダックスは、利権の一部売却など、譲歩の姿勢を示して事態の打開を図る。これが逆効果で、与しやすいとみたFR-08は要求をエスカレート、市場の無条件開放を求めた。さらに、ごり押しの一手としてブルー・フリートの分遣艦隊を派遣、4個VR戦闘団を降下させる旨、通告した。火星戦線への一方的な参戦宣言である。
ブルー・フリートはFR-08が擁する強力な宙航艦隊で、興業目的の戦闘には参加しないことを建前としていた。しかしVca0年代前半にRNAのゲリラ的パフォーマンスが激化するとそれまでの方針を変え、積極的に関与するようになった。特にVCa4年に生起したクレプスキュール戦役では、VRを巧みに駆使した戦闘を繰り広げて大きな戦果を挙げ、業界での知名度を高めた。
精強な艦隊の接近を前にして危機を回避すべく、アダックスは様々なルートから交渉を試みるが、すべからく不調に終わる。しかも、本来なら共闘すべき国際戦争公司が及び腰になっていた。火星戦線の他に、地球圏にも多くの拠点をもつ彼らは、FR-08との関係を必要以上にこじらせたくなかったのである。
単独で迎撃の準備をせざるをえなくなったアダックスは、戦力の調達に頭を悩ませた。彼らの管理下にあるVRは火星圏全域に散らばっており、個々の部隊は個別の戦闘契約に拘束されていた。
幸運なことに、彼らは有力な助っ人を得る。TV-02が援助を申し出たのだ。すでに火星戦線への参入を果たしていたこのプラントは、オラトリオ・タングラム以前からの因縁もあり、FR-08に気兼ねする理由がなかった。むしろ、彼らの鼻を明かす機会が得られることを、歓迎していた。
俄か仕こみだったこともあり、2大プラント連合軍の戦いぶりは、決して手際の良いものではなかった。しかし、ブルー・フリートのVR部隊が、第2世代型のMBV-707を使用していたことが幸いし、予想外の勝利を収める。当時の地球圏のVRは、マーズ・クリスタルの影響下に入ると著しくパフォーマンスを落とし、思うような活躍ができなかったのである。一方、アファームド・ザ・タイガーと呼ばれるTV-02の第3世代型VRは、目覚しい戦果をあげて脚光を浴びた。そして、地球圏の精鋭を撃退したことで、それまでどちらかというとローカル市場のように見られていた火星戦線の評価は、いや増しに上がった。
41. ぺネトレーター
VCa6年、アイザーマン博士(を構成する、少なくとも1体)は木星圏にあって、壮大な実験の最終段階に臨んでいた。それは、火星圏、地球圏へと連なる大型転送ターミナルの設営で、長距離定位リバース・コンバート技術を最大限に応用したものだった。VC90年代後半から構想を暖め続けてきた博士は、Vクリスタルに頼ることなく、エンハンサーを組みこんだ新型ハイブリッドVコンバータを使って、これを実現しようとしたのである。木星圏から地球圏を貫くべくぺネトレーターと名づけられたこの計画は、第1段階で火星圏までの開通を達成、その数ヵ月後には地球圏にまで延伸する快挙を成し遂げた。しかしこの時、SM-06は、ぺネトレーター・ターミナルを安定させる必要から、マーズ・クリスタルの攻性侵蝕波イミュレータを、独断で地球圏に持ちこんでいた。このため、地球圏内で用いられていた第2世代型VRは、その大部分が活動不能となり、うち50%以上が自壊するという重大なトラブルに見舞われる。オラトリオ・タングラム中止の危機に見舞われたFR-08は激昂したが、SM-06は一顧だにしなかった。「作れるから作っただけ。できたものは有効利用あるのみ」と開き直り、また「我々はトリストラム・リフォーの遺志を継ぎ、新たなOTビジネスを創始する」と宣言、ペネトレーターが生み出すビジネス面での可能性を喧伝した。その一方で、人命と資材を浪費する限定戦争で利益を貪るFR-08に対しては、名指しで「志半ばにして斃れた盟主を忘れた守銭奴」と批判した。両者の応酬は衆目を集め、FR-08の専横に倦んでいた層はSM-06に喝采を送った。
FR-08は苛立ち、だが、相手を抑えこむ有効な手だてを見出せない。むしろ彼らにとっては、依存度を高めていたオラトリオ・タングラムの建て直しの方が重要だった。失われたVRの補充のため、急遽、火星戦線で実用化されていた第3世代型を大量に導入、同時に、自前の新型機の実用化を急いだ。
多分に強引なやり方だったとはいえ、ぺネトレーター開通は確かに前人未踏の偉業だった。かつて0プラントが、トリストラム・リフォーが夢想し、構想し、オーバーロードの介入によって頓挫し続けてきたコンセプトが、まったく別のアプローチで実現してしまったのである。現状の機能は、Vコンバータを搭載するもの、すなわちVRの転送に限定されていたが、その制約がいずれ解消されるのは明らかだった。外惑星系に拠点を置くマイノリティは、新たなビジネスチャンスの誕生に沸き、アイザーマン博士の行動を諸手を挙げて歓迎した。地球圏でもTSCが協賛する等、是認する動きがあった。一方、OT業界を異端視する諸勢力、たとえばインペリアル・ラインを筆頭とするロジスティックス業界等、旧態依然とした枠組みにしがみつく地球圏の企業国家群は衝撃を受け、ぺネトレーター営業の阻止を画策する。彼らの背後には第一極や第三極といった強大なオーバーロードの配下にある勢力が控えており、駆け出しのSM-06を押しつぶすことなど容易に思われた。しかし、彼らの足並みは揃わなかった。第四極の長、アンベルⅣが意外な行動をとったためである。
42. 打撃艦隊フォース
アイザーマン博士が事を起こす頃、アンベルⅣも木星圏に出張っていた。
ぺネトレーターの構築以前から、木星圏ではジュピター・クリスタル群の共振現象が観測されていたためである。このままの状態が続けば、ゲート・フィールドが形成されるのは時間の問題で、攻性結晶構造体の大量漏出が現実のものとなる。アンベルⅣにとって、これは看過できない事態だった。
話は一旦、VC90年代に遡る。当時、アンベルⅣが担当していたVプロジェクトは、VRを大量に市場投入することを目的としていた。だが、そこには深刻な問題があった。
バーチャロン・ポジティブの高いパイロットと接続すると、Vコンバータは強い活性を示す。それが戦場で一定以上の数量と密度に達すると、一時的に相互リンクして個々のパワーを超越、巨大なゲート・フィールドを形成することがあった。そこから攻性結晶構造体アジムが出現する危険性については、すでに警鐘が鳴らされていたのである。仮にそうなった場合、通常の商用VRでは対抗する術がない。自然、VRによる興業戦闘の開催は困難となる。Vプロジェクトの完遂を前にして対策は必須だった。
アジムの核となる、攻撃属性を備えたVクリスタルの出自は不明だった。人知れず彼らを撃退する任を果たしていたVR-017 アイス・ドールも把握していないようだった。そして、彼女が維持してきた防御網は、自身の疲弊に伴い、崩壊寸前である。アンベルⅣは、第4プラント(後のTSC)を中心に、アジム対策を検討した。辛うじて機能を維持していたVR-017の協力を得て、新たな迎撃システムを作り上げようとしたのである。
1つの成果として、VCa0年代初頭に新型VRが誕生した。SGV-417エンジェランと呼ばれるこの機体は、アジム迎撃システムを担う端末兵器として、TSCが開発したものである。システムの起動には、VR-017を必要とした。
ところが、彼女の心は、TSCでの長期間にわたる凍結監禁によって堅く閉ざされていた。戦闘を強要する人々との接触を拒んだ彼女は、ある時、CISへと姿をくらましてしまう。VR-017が不在では、迎撃システムは機能しない。関係者が慌てふためく中、彼女は再びたち現れ、今度はFR-08に保護を求めた。身柄を受け入れたFR-08は、TSCの再三の要求を拒み、返還に応じようとはしなかった。後にこれは「エンジェランの略奪」と呼ばれ、VCa0年代序盤に起きた両者の対立の大きな要因となった。
攻性結晶構造体への対策を講じる際、アイス・ドールに依存するリスクを痛感したアンベルⅣは、VCa4年以降、アプローチを変更する。
すでに彼は、最大規模の漏出が生起する時期とポイントについて、確証を得ていた。それはVCa6年以降の木星圏、イオ周辺に展開するVクリスタル由来のゲート・フィールドだった。彼はここに強力な艦隊を配置し、漏出してくる攻性結晶構造体に対して水際での邀撃作戦を行なう計画を立案する。
後にフォースと呼ばれる打撃艦隊は、こうして、TSCを主体に創設されることになった。それは、人類が今まで作り上げてきた中でも、最大級の戦闘組織になるはずだった。
43. 木星継承戦争
すでに地球圏でも、攻性結晶構造体の出現は問題になっていたので、木星圏で観測されたジュピター・クリスタルの共振現象や、それが引き起こす脅威について説くアンベルⅣの言葉には、一定の説得力があった。対立する2大企業国家FR-08とアダックスも、確執を越えて共闘することを宣言、アンベルⅣが提唱する艦隊の編成に協力する意向を示した。
しかし、その後の進展は芳しくなかった。待ったをかけたのは、ぺネトレーター開通に危機感を募らせる関連業界、特に地球圏のロジスティックス業界を中心とする勢力である。
すでに電脳暦以前から、木星圏の豊富な資源を目あてに、大小さまざまなプロジェクト、企業が乱立していた。時を経て採算のとれる業種が絞られるようになると、ゴールドラッシュにたとえられた狂奔は収まったものの、地球圏主体で事が進む流れに変化はなかった。やがて利権は複雑に絡みあい、一筋縄ではいかない状態に陥る。幾たびか状況を整理しようという試みがあり、献身的な努力もあったが、すべてが頓挫した。背景には、既得権益を束ねるオーバーロードの存在があった。かつてトリストラム・リフォーがロジスティックスV計画を立ち上げ、挫折したのも、オーバーロードを後ろ盾とする旧態依然とした枠組みに遠因がある。インペリアル・ラインを筆頭に、既得権益を有する者たちは徹底的に変化に抗い、利害調整を志して彼らの間に割って入るのは、地雷原に足を踏み入れるがごとき愚行とさえ言われた。
そんな彼らの警戒心を刺激したのは、アンベルⅣのぺネトレーター支持発言だった。攻性結晶構造体の迎撃には、漏出元のゲート・フィールドで活動できる、強力なVRが必要である。しかし、残念ながら木星圏にはVRの生産拠点がない。そこでアンベルは、ぺネトレーターを利用した兵站ラインを構築、地球圏、火星圏から継続的に戦力の供給を行なうフォース・ライン構想を提示したのである。  ぺネトレーター運営の主導権は、SM-06を筆頭に、外惑星系の勢力が握っている。VRも、生産拠点を火星圏にシフトしているプラントが多い。仮にアンベルⅣの提案が実現すれば、フォース・ライン特需に伴う利益は、すべて彼らが得ることになるだろう。地球圏の諸勢力は、疑いを強める。アンベルⅣは、外惑星系勢力の庇護者を気取っているのではないか? 危機感を煽ることで、地球圏主体の枠組みの切り崩しを画策しているのではないか?
アンベルⅣ以外のオーバーロードも疑念を募らせていた。アンベルは、五極共存、相互不干渉という、長らく勢力を均衡させてきた暗黙の了解を破ろうとしているのではないか? そうまでして彼が攻性結晶構造体に執着する理由はなにか?
特に、木星圏に直接の権益を持つものの懸念は強かった。彼らは、事の詳細が明らかになるまでは大規模な軍の派遣を見あわせるよう、FR-08とアダックスに要請した(多分に強要であった)。そして、アンベルの真意を探ろうとして活動を開始し、これがやがて諸勢力入り乱れての暗闘へと発展する。彼らの多くは地球圏にあり、アンベルⅣという共通の敵を戴きながらも根深い相互不信ゆえにまとまりを欠き、離合集散を繰り返した。さらに、恒例のFR-08内権力闘争が始まり、外部勢力がこれに相乗りする形で混乱を拡大させた。後に木星開発公司経営権継承戦争(木星継承戦争)と呼ばれる一連の騒乱は、木星からはほど遠い地球上のこのごたごたに端を発し、歯止めのかからないまま拡大していった状況を指す。そして、アンベルがフォース艦隊の拠点として旧木星開発公司の開拓プラントを徴用すると、一気に過熱した。すでに活動を停止し、形骸化していた開発公司の経営権の正統性が今さらのように取りざたされ、事態は大いに紛糾する。
世界は変わりつつあった。五極のオーバーロードを頂点とする地球圏主体の枠組みは劣化し、彼らが拘泥する既得権益は、意義も価値も喪失する脆弱性を露わにしていた。
44. アイデルスター級強襲母艦
フォースにおいて、その主戦力がVRであることは論を待たない。攻性結晶構造体が漏出するゲート・フィールド内での活動が可能な、唯一の兵器なのだ。また、定位リバース・コンバートを可能とする第3世代型VRは、木星圏での運用に最適だった。木星圏として定義される宙域は、地球圏のそれとは比べものにならないくらい広い。また、Vクリスタルも数が多い。例えばイオ・ゲートと言っても、イオ上のものを中心に計7つのVクリスタルが散在しているため、これらのどこにゲート・フィールドが開口するかは、その時になってみないとわからない。
7つの宙域すべてに艦隊の主力をはりつけて待機するのは、事実上不可能である。ゆえに、開口が確認された時点で、VRを急派できる運用システムの構築が必須であり、定位リバース・コンバートが可能なVRは理想的な兵器だった。また、システムを円滑に機能させるため、VRの活動を支援する母艦の導入が求められていた。そこで、トランスAG(TAG)社に対して、強襲母艦アイデルスター級4隻の発注がなされることになる。
このクラスの艦は本来、母艦として設計されたものではない。もとは、地球圏、火星圏、木星圏の各々で個別に建艦され、かつ、中断していた4隻の同型艦だった。これが要求基準を満たす船殻として適当だったため、急遽、改造用に買い上げられたのである。
TAG社は艤装段階で、VRの定位リバース・コンバートを支援する機能の追加を検討した。実現すれば、アイデルスター級を起点として、VR単体では不可能な超長距離遷移が可能となる。さらに、ぺネトレーターを経由すれば、各惑星圏への直接転送も安定してこなせるようになる。画期的なシステムへの期待が高まったのは言うまでもない。
第3世代型VRが搭載するハイブリッドVコンバータは、SM-06が開発したものである。実装されている定位リバース・コンバート機能はYS99としてパテント化され、広く普及していた。このような経緯もあり、アイデルスター級に搭載する支援システムはSM-06に発注され、開発は順調にスタートした。しかし、彼らがTAG社とリリン・プラジナーの関係を嗅ぎつけてから後、雲行きが怪しくなる。もともと険悪だった両者の関係はさらにこじれ、様々なごたごたを経て、話は反故になってしまった。
自力調達をせざるをえなくなったTAG社は、かつてタングラムに先駆けて開発された補助システムを転用することで、急場をしのいだ。こうして誕生したのが、FRCカタパルト・システムである。
またTAG社では、定位リバース・コンバート直後のVRにつきまとう起動ラグ問題を解決するため、同盟関係にあったVR-014ファイユーヴの協力を得て、MSBSver7シリーズの拡張版を独自開発する。これは、艦載VRのVコンバータ専用OSとなった。
さらに、戦力の最小単位を2機と定めたフォースのVR運用方針にあわせ、ツイン・リンク・コンバート・システム(TLCS)を導入した。2機のVRのVコンバータを相補的にリンクさせることで、実存力の共用を可能にしたこのシステムは、VRの生残性能の向上に寄与した。
この間、TAG社はSM-06から様々な妨害を受けたが、これをはね除け、数々の開発を独力でこなした。その結果、彼らは火星圏でも有数の企業へと成長していく。
アイデルスター級強襲母艦
アイデルスター級強襲母艦
艦首に装備された2門のFRCカタパルトによって、VRの超長距離定位リバース・コンバートを行なう。カタパルトの開発には、Vca2年に第2世代型VRの定位リバースコンバートを実現させたDD-05の人材が数多く参加した。
45. フォース出撃
フォース創設に際し、アンベルⅣが、人類の存亡を真の意味で危惧していたかというと、議論の余地がある。FR-08を筆頭とする地球圏の諸勢力や、背後に控えるオーバーロードたちが疑念を抱いたのも、あながち見当違いではない。アンベルⅣは自ら進んで真意を語ろうとはしなかったが、その言動には常に純粋な動機とは別の色が滲み、また彼の嗜好として、含むところとは別のニュアンスを意図的に匂わせて人心を惑わし、それを楽しんでいたきらいがある。
実際、表向きの趣旨とは別に、艦隊を木星圏に送りこむことを彼に決意させたのは、攻性結晶構造体の核となるVクリスタルの存在によるところが大きい。それが、従来のものとは異なるフリー・ラジカルと呼ばれるタイプであることを、彼は知っていたのだ。また、回収された鉱滓の分析結果から、このVクリスタルが桁外れのポテンシャルを有する物証も得ていた。仮に十分な量のフリー・ラジカルを確保できれば、これを用いて、まったく新しい強力なVRが開発できるかもしれない。T/Z境界で顕在するベルグソン勾配を活用したエネルギーの利用法についても、Vコンバータ以外の新たな方法論が誕生するかもしれない。
フリー・ラジカルが、CIS起源のものなのか、あるいはまったく別の世界からCISを中継してやってくるものなのか、事の真相は不明だった。しかし、これを「狩る」ことで得る成果は、人類に(そして何より自分自身に)新たな富をもたらすはずである。すでにアンベルⅣにとって、フォースが臨む戦いは、人類存亡の危機を打開するそれというより、むしろ新たな可能性を掴むための試練、楽しむべき冒険だった。そして、彼の冒険を阻むものは誰であろうと、仮にそれが自身と同様のオーバーロードであったとしても、倒すべき敵であった。
常々、彼は艦隊の兵員に対して、以下のように訓示した。
”The Fourth is The Force! ”
すなわち、第四とは力なり
懼るるなかれ、汝が未来は拓かれたり
もちろんこれは、戦いを前にして人心を鼓舞することに、主要な目的がある。しかし、自身の名をあてがい、人類の未来を謳うのは、その先にある富に確信を抱いていたからであり、ゆえに溢れる自信が人々を誘なうのだった。
VCa8年、木星圏ではジュピター・クリスタル群の新たな共振現象が観測された。それはかつてない規模のもので、やがて形成されたゲート・フィールド内では、大量の攻性結晶構造体が確認される。アジム系とは別に、ゲラン系と呼ばれる新たなタイプも出現した。
だが、依然として地球圏の動きは鈍かった。FR-08にいたっては、木星圏への派兵とオラトリオ・タングラムの運営維持をバーターで交渉しようと試み、これが不首尾に終わると、一転してフォースへの協力を拒否した。
事態を憂えたアンベルⅣは、自ら火星圏に赴き、火星戦線から独自に兵力を抽出する。増強した打撃艦隊フォースは勇躍、木星圏へと進出し、緒戦で大きな戦果をあげた。アイデルスター級強襲母艦は、高精度超長距離定位リバース・コンバートを駆使し、異界からの侵入者を一時的に撃退したのだ。
しかし、彼らの活躍を賞賛する声は小さかった。特に、地球圏に跋扈する諸勢力は、攻性結晶構造体との戦闘については傍観する一方で、フォースの活動が、自分達の木星圏における権益を侵害するとして、即時活動停止を求めた。さらには、VRによる攻撃で彼らの作戦行動を妨害さえした。
フォースの最大の敵は、人間だった。だが、苦境にあって艦隊はなお高い士気を維持し、アンベルⅣも泰然自若、むしろ楽しむかのように配下を導いた。見敵必戦の心意気で自らを阻むものとは容赦なく戦い、我が物顔で木星圏を航行するフォースは、以後、新たな時代を象徴する一大勢力へと躍進していくことになる。
フェイ・イェン CH
フェイ・イェン CH
アンベルⅣは火星戦線を、優秀な人材を確保する草刈り場と見なしていたきらいがある。DNAのVRパイロットだった折鶴蘭少尉も、アンベルに認められて引き抜かれ、フォースで専用機フェイ・イェン CH(シンデレラ・ハート)をあてがわれた。
46. ダイモンの影
電脳暦の情勢は、Vca4年を経てめまぐるしく変わった。一躍、主役の座に躍り出た感のあるリリン・プラジナーは、その後舞台から引きずりおろされ、新たに脚光を浴びたのは、SM-06を拠点にペネトレーター稼働を強行したアイザーマン博士、そして打撃艦隊フォースを率いて木星圏に君臨するアンベルⅣであった。両者は目的こそ違え、地球圏に跋扈する守旧勢力やその背後に控えるオーバーロードとは相容れないという点では立場を同じくしていた。ゆえに共存の道が模索され、まずはちょっとした支援や贈答という形で交流が始まった。たとえば木星圏でフォースが苦境に陥ると、アイザーマン博士の要請を受けたマシューが麾下のVR部隊を率いて救援に向かったり、攻性結晶構造体との戦闘で得た新しいVクリスタルを、アンベルがアイザーマンに提供したり、といった塩梅である。これらの出来事を経て双方に一定の信頼が醸成されると、その後は緩やかな互恵関係が形成された。
一方、地球圏を追われたリリン・プラジナーは、尾羽打ち枯らした態で火星圏に逼塞するが、なおも意気軒昂だった。FR-08から追放された際、その巧妙な手口から、表向きの敵とは別に、背後には黒幕がいると彼女は睨んでいた。相手の確かな姿が明らかではないこともあり、肉体を捨ててシステム化したオーバーロードにも疑いの目を向け、候補を絞り(その中にはアンベルⅣも含まれていた)、調査の手をのばした。それは真相に迫る勢いだったが確証を得るには至らず、結局、彼女は失脚した。地位に執着はなかったもののやはり無念であり、必ずや地球圏に還ることを固く決意する。
そしてVCa6年以降、彼女は着実に力を蓄えた。先の失敗は相手の姿を見誤ったことが原因であると認め、情報収集に努めて反撃の機会を窺った。やがて彼女が見出したのは、かつての敵の意外な姿だった。
 VC84年に発見されたムーンゲートは、その後の発掘調査によって様々なことが明らかになる一方、残された謎も多かった。特に造営者については、その出自も、容姿も、ほとんどわからずじまいだった。すでに消滅したものと考えられていた彼らは、しかし、遺跡内の各所に自らの痕跡をとどめていた。
ムーンゲート内に積層されたシールド・プレートには、自動防衛施設と思われる遺構が点在し、すでに起動することはなかったものの、かつて実際に使用されていた様子を彷彿とさせるものがあった。制御端末には、使用者の(おそらく)脳神経との接続を前提とするインターフェースが残っており、運用サポートのアバター・システムが組みこまれていたのである。このアバターのわずかな断片が、スリープ状態でシステムメモリ上に残留していた。人間の精神構造とはまったく異なるこの存在は、長年の発掘調査の間に人間側のシステムへ流入する。当初は目立った活動もなく沈黙を保っていたものの、やがて密かに増殖、本来の役割を果たす機会を待ちうけた。そしてそれは、VC8f年にやってきた。0プラントで実施された、BBBユニットの起動実験である。スタッフが実験を開始して間もなく、待機中のアバターは覚醒した。そして、寄生する0プラント内のシステムを援用し、BBBユニットへの攻撃を開始する。それが唯一の要因ではなかったにせよ、結果的に起動実験は失敗し、大惨事へと発展した。
当時はまだ知られていない事実があった。ムーンゲートの建設者と、BBBユニットの開発者は、まったく別の存在であり、どうやら両者は対立関係にあったようなのである。BBBユニットを頭部とする巨大な戦闘体は、攻撃的意図をもってムーンゲート内に進入、自動防衛施設の迎撃にあって擱座したものらしい。人間がこのユニットの再生を試みた時、覚醒したアバターがかつての敵に対して攻撃を仕掛けたのは、彼らにとってみれば当然の責務を果たしたにすぎない。
その後、彼らはVコンバータやMSBSを介して人間の精神と接触、以後、その構造を模倣して自らの欠落を補うようになった。変成した彼らは、後にダイモンと呼ばれる。
BBBユニット起動実験の失敗は、0プラントに大きな被害をもたらし、しばらくの間、原因究明もままならない状態が続いた。このため、ダイモンについても発見が遅れ、一部の人々がそれに気づいた時、すでに外部へ漏出していた。彼らはネットワークを介して社会の隅々に潜伏し、その間に得た数々のパーソナリティを共有、統合して、ある種のメタ人格、リヴァイアサンへと膨張する。
ダイモンがもたらすリスクは、ムーンゲート自動防衛システム由来の強大な攻撃性の暴発であり、それがいつどのような形で発生するか、予測不能な点にある。対症療法的な処置も試みられたが、目立った効果は得られず、抜本的な対策が求められていた。
ダイモンは、ムーンゲート内に残ったインターフェース群を、ある種のメインサーバーとして拠点化していた。そこで、タングラムを用いる駆除法が検討された。ムーン・クリスタルの活性制御を行なうことで、ムーンゲート内の自動防衛施設用インターフェースに圧力を加え、これを破壊しようというのである。この計画には問題があり、当時のタングラムは開発中の不安定な段階で、このような攻撃的運用は想定されていなかった。開発担当者のリリン・プラジナーは強く反対したが、駆除は強行され、その後の展開は想定外のアクシデントの連続となった。ダイモンに対する効果を確認する間もなく、ムーンゲートの覚醒、そして太陽砲の起動へと事態は発展し、ついにはVCa0年のOMG狂騒へと至る。
事が落ち着いた後に行なわれた調査では、ダイモンの存在は確認されなかった。問題は解決したものと判断され、関係者は胸をなでおろす。だが、ダイモンは生き延びていた。確かに彼らを構成する主要な部分は壊滅的被害を受けたものの、わずかな残余がDN社内のサーバーに退避していたのである。
再生したダイモンは、本来の役割から逸脱する行動をとるようになっていく。ムーンゲートとの再接続に努める一方で、人間社会に複数の橋頭堡を築き、実体を隠蔽しながら浸透、拡散する。メタ人格との連携が可能なフラグメント・アプリをネット上にばらまき、システムはもちろん、人間に対しても侵蝕を図り、場合によっては融合を試みた。やがてFR-08は汚染の温床となり、トリストラム・リフォーの抹消暗殺後、256あるリフォー家の各派は、その多くがダイモンの走狗と化していった。その手口は、リリン・プラジナーにさえ気取らせない巧妙なものであった。
47. 反攻への模索
命からがら火星圏に落ち延びた後、プラジナーは自らの甘さを思い知る。なんのことはない、彼女自身がダイモンの傀儡へと堕していたのだ。オラトリオ・タングラム構想を提唱し、地球圏の限定戦争市場を活況に導くことで、彼らの繁栄を支えていたのである。FR-08の中枢にあって、彼女がダイモンの侵蝕を免れたのは僥倖だった。
対峙すべき敵の姿を見出した彼女は、反撃の準備を始める。用心深く、自らが表に出ることを避けながら資金と人材の確保に奔走した。
まず、新たに傘下に収めたTAG社では、VRや、VRが使用する個々の火器、そして支援車両や艦艇、運用システムまで幅広く手がけて、実績をのばした。特に、父親であるプラジナー博士が遺したオリジナルVRのレプリカ・モデルは人気機体となり、好調な売れ行きを示した。
また、強襲母艦アイデルスター級の建造では、ペネトレーターとのリンク運用を想定、超長距離定位リバース・コンバートシステムFRCの実装を果たす。これは、その後実施されるマーズの火星圏外派遣を見越したものだった。
さらに、プラジナーはTAG社を介して地球圏での拠点作りにも取り組み、その過程で、VR開発大手RP-07と接触する。これは、後にマーズ専用VR、MZV-747の誕生につながる貴重な機会となった。
48. 荒れる火星戦線
一見、堅調かと思われた火星戦線も、その実態は危うさとの同居であり、綱渡りの連続だった。新たな限定戦争市場として脚光を浴びるようになると、関連する企業国家やプラントが、大挙して地球圏から進出してくる。このため、シェア争いが激化した。手段を選ばぬ違法行為が横行し、大規模犯罪へと至る事例も多くなった。
また、マージナルとの関係維持は、アダックスにとっても国際戦争公司にとっても、常に頭の痛い問題であり続けた。火星戦線創設当初、三者間で交わされた互恵的関係を旨とする協約は、表向き遵守されていたものの、現場では日常的にトラブルが発生した。特に、マージナルと地球圏出身者が引き起こすものは、予想外の大事に至る場合も珍しくなかった。
マージナルは本来、外来者との接触を避け、表だった行動を控える傾向があったが、火星戦線の興隆以後、様子が変わった。彼らの一部は、独自の戦闘興行を催すようになったのである。たとえば南方戦線と呼ばれる集団は、限定戦争を主要な収益源として急速に成長し、やがて軍閥化した。
マージナルの戦闘興行には、「ばれなければ何でもあり」とする粗暴な気風があり、過激な方向に走る傾向があった。特に、指定戦域の隣接する緩衝地帯でトラブルが起きると、部外者であるmRNAやDNAが巻き添えになることも多く、運営側の管理責任を問う声が上がるようになった。
本来、戦場の運営管理は国際戦争公司が担当すべき役割だったが、マージナルに依存する面が大きい火星戦線では、彼らに強い態度をもって臨むのは難しい。また南方戦線側などは、そういう事情を見越した上で、挑発行為を繰り返していた。
業を煮やしたmRNAとDNAは密かに提携、自衛のための特殊部隊ピース・キーパーズ(PK)を創設する。火星戦線に登録されることなく非公認部隊として活動する彼らは、戦闘興行のレギュレーションでは許されいてない強力な装備でマージナルを圧倒、緩衝地帯を越境して攻勢をかけるようにさえなった。
PKの存在には一定の抑止効果があったものの、南方戦線などの軍閥に対しては、「同胞救済」の大義名分の下、活動を正当化する口実になった。実のところ、軍閥等の武闘派は、当時のマージナルの中ではマイノリティだった。主流をなす穏健派は、地球圏勢力との直接的な対立をよしとせず、むしろ南方戦線のような存在を白眼視してさえいた。しかし、PKによる無差別攻撃の犠牲となるのは、穏健派マージナルである場合が多かった。堪りかねた彼らは、武闘派勢力の活動をやむなく追認する。勢いを得た各地の軍閥は、連合戦線なる共闘体制を構築、火星戦線、特にPKとの対決姿勢を鮮明にする。行き着く先は、双方が血で血を洗う報復の連鎖だった。
49. マーズ創設
リリン・プラジナーは、このような情勢の中にチャンスを見出していた。既存の枠組みに囚われず、的確に紛争の鎮圧、解決を遂行できる独立系治安組織には需要があると踏んだのである。
彼女は孤立無援であったけれども、不屈だった。周囲の心配をよそに、各地に出向いて精力的な折衝を行ない、やがて軍閥勢力に反感を抱くマージナル諸派との連携に成功する。彼らは自らを同胞(Marsinal)と区別してMarzinal/マージナル(z)と名乗り、プラジナーにVRの貸与さえ申し出た。
当初、それはわずか3機のYZR-3900(マイザー39)にすぎなかった。それでも大きな一歩には違いなかった。プラジナーは新たに立ち上げあた組織をマーズ(MARZ)と命名、VRが運用される大規模な限定戦争において、進行管理と治安維持を担うべく活動を開始した。
草創期のマーズはマージナル(z)の協力なしには存続しえない組織だったが、リリン・プラジナーは、戦力を彼らに依存し続けるつもりはなかった。組織の独立性を保ちたかったためである。そこで、かねてより関係のあったトランスAG社(TAG社)を自身の財団の傘下におさめ、VR開発に着手した。この目論見はSM-06の執拗な妨害を受け、計画は大きく遅延してしまう。代替案が模索される中、プラジナーは、地球圏のVR開発大手リファレンス・ポイント(RP-07)と接触する機会を得た。
RP-07は、かつて彼女が主導して実用化にこぎつけたMBV-707テムジンの開発元である。両者はかつて労苦を共にしたもの同士気脈を通じており、互いの立場は変われど良好な関係はいまなお維持されていた。友好的な雰囲気の中、交渉はスムーズに進み、結果、当時RP-07で開発中だった新型VR、MBV-747の設計データを共有することができた。これは後のマーズ専用機MZV-747の完成へとつながる大きな成果となった。
とはいえ、マーズが必要とする当座の機体の頭数は未だに揃わない。やむを得ずプラジナーは、廃用になったMBV-04-10/80系VRを仲介業者経由で買い漁ったり、時には非常手段と称して火星戦線現場から強奪したり、八方手をつくして地道に戦力を積み上げた。この手の活動は、各地に張りめぐらされたマージナル(z)コネクションとの緊密な連携によって可能となった。
かき集められたVRは、10/80系列やMBV-707系列といった旧型機が中心だったが、各所に改修が施され、主流だった第3世代型機にもある程度対抗できるようになっていた。そしてなにより、部隊は士気旺盛だった。彼らは巧妙な戦術をもって紛争に介入、マージナル系軍閥やPKと互角以上の戦いを展開する。そして、敵の遺棄したVRを積極的に回収、再利用することで、さらなる戦力拡充にも努めた。
その後TAG社のVR生産が軌道に乗り、また稀代の傑作機MZV-747を得て、マーズは次第に火星圏におけるパワーバランス維持を担う有力組織とみなされるようになる。
ただし、リリン・プラジナーにとって、火星戦線におけるマーズの立ち位置は、あくまでも建前であり、仮初めの姿だった。彼女自身には地球圏への帰還という大目的がある。ダイモンはこれを阻もうとするだろうから、妨害をはねのける力が必要だった。ゆえに来るべき時に備えて、部下には、企業国家の権益保護や戦闘興行の現場管理を名目に実戦経験を積ませる。そして、将来想定されるダイモンとの戦い、特に武力衝突の際には、切り札として活躍してもらう腹づもりだった。
MZV-747-J テムジン747J
MZV-747-J テムジン747J
50. 肥大化するダイモン
表向き、繁栄を極める電脳暦の地球圏は、その内向性によって、現状追認以外の選択肢を失っていた。一筋の光明と思われたOT業界も例外ではなかった。かつては無限の可能性を誇示していたはずが、VR主体の戦闘興行で日銭を稼ぐスキームに嵌ったまま、脱することができずにいたのだ。
 新たな動きは外部で起きた。地球圏を見限ったMV-03が火星圏にアダックスを設立して成果をあげた。異端者と目されたSM-06は外惑星系に拠点を確保し、木星圏から地球圏を直結する壮大なぺネトレーターを構築した。これに伴ない新たなビジネスチャンスが生まれ、活況を呈したにも関わらず、地球圏の動きは緩慢だった。前暦から構築され、積み上げられたシステムに依存することに、良くも悪くも馴れていたのだ。それでいて、肝心のシステムの内側で腐蝕が進行していると気づいた者はほとんどいなかった。
FR-08の中枢に食いこんだダイモンは徐々に周囲を蚕食し、事実上、これを乗っ取った。またふとしたきっかけから、オーバーロードの第三極ティラミアⅢと接触する機会を得た。彼は、早くからダイモンの存在に気づいていた数少ない存在だったが、自らの力に絶対の自信を持っていたがゆえに、脅威とみなすことはなかった。むしろ、使いようによっては役に立つ、ある種のツールのようなものと考えていたきらいがある。それは、リリン・プラジナーの追放に際して、彼がダイモンの影響下にあるものをけしかけたことからも明らかである。少女が、将来的に自身の権益に仇なす存在となることを恐れていたティラミアは、早くから抹殺を企て、機会をうかがっていた。事を起こし、最終的には取り逃がしたものの、結果は彼にとって満足のいくものだった。
成功に気をよくしたティラミアⅢは、今度はこれをアンベルⅣに対して使おうと考えた。木星開発公司の経営権を巡ってアンベルと対立していたこのオーバーロードは、自身が劣勢に立たされていることを自覚しており、相手に一矢を報いる手段を探し求めていたのである。ダイモンは、彼の目的に適う力を持っているように思われた。
 計画の骨子は、ペネトレーターを介してダイモンを転送、フォース艦隊の中枢システムに侵入させてこれを破壊する、というものである。相手はオーバーロードであるから、成功を確実なものにするためには、相応に有力なダイモンの核を確保する必要がある。ティラミアはリスクを承知していたものの自ら事にあたり、捕縛用のトラップを構築した。これが災いした。わずかな間隙をぬってトラップを脱したダイモンは、ティラミア自身を構成するシステム環境を制圧し、難なくこれと一体化してしまう。地球圏で最大の力をもつネガシステムが誕生した瞬間だった。
51. 火星戦線ニ異状アリ
VCa8年、世界は不穏の臨界に達する。
木星圏では、打撃艦隊フォースの奮闘が続き、攻性結晶構造体の漏出は辛うじて水際で食い止められていた。しかし、ジュピター・クリスタル群の共振は日に日に勢いを増し、イオ・ゲートでのみ観測されていたゲート・フィールドの展開が、他の宙域に飛び火するのは時間の問題だった。厳しい戦況を前にして、アンベルⅣは、火星圏と地球圏各界に艦隊増強への協力を要請する。このうち火星圏は、すでにフォースへの戦力提供の場となっていた上、火星戦線の運営トラブルに見舞われていた時期とも重なり、さらなる支援は困難だった。一方、地球圏は極めて非協力的だった。支援の見返りに提示された、攻性結晶構造体由来のVクリスタルに関する知見提供からはそっぽを向き、オラトリオ・タングラムの収益安定やぺネトレーターの運用制限など、現状の利権確保を目的とした交渉に応じることを求めた。これらは概してアンベルの関知しない、別枠の諍いに端を発するもので、彼が積極的に関わりえるはずもない案件ばかりだった。もちろん、それが無理筋の要望であることを承知の上で話は振られており、折衝が膠着すると、支援交渉は即座に打ち切られた。
もとより地球圏の既得権益者はアンベルの動向に対して強い不信感を抱いていたし、彼らを背後から扇動するかつてのオーバーロード、ティラミアⅢに憑依するダイモンにとっても、彼は潜在的な敵だった。
アンベルへの支援遮断の一環として、ダイモンは火星圏へと侵食の手を伸ばした。あくまでも自らの姿を露わにすることを避けつつ、様々なトラブルの種をまき散らしたのである。例えば、それまで散発的だったシャドウ憑依現象を拡散させ、また本来ならアース・クリスタルに特有の現象だったヤガランデの幻像顕現を、ペネトレーターを介して強制転送させた。同様の手段を用いて、木星圏の攻性結晶構造体の部分転送も行なった。これらの異変は、もとより綱渡りが続く火星戦線の運営を危うくし、ひいてはフォースへのVRや人材の供給を不安定にした。 「火星戦線ニ異状アリ」
頻発する原因不明の事態をセンセーショナルに語る言説が飛び交い、しかしアダックスも国際戦争公司も打つ手はない。結果、火消し役として唯一有効な活動を続けるマーズの存在感が増した。これは痛しかゆしの状況で、引く手あまたとなった彼らのキャパシティは飽和する。
ダイモンは、自らの目的に抗うマーズを敵として認識し、攻勢を強めていった。対するリリン・プラジナーは、RP-07などから地球圏を巡る情報を得て、膨張するダイモンへの憂いを深めていた。
52. ファイアフライ
マーズの活動は、ダイモンに対して常に一定の圧力を加える程度には有効だった。卓越した戦闘はもちろんのこと、これを支える組織力の構築にはリリン・プラジナーならではの手腕の冴えがあり、その全貌が厳重な情報防衛によって秘匿されている点も、敵を苛立たせるには十分な効果があった。
ダイモンは、マーズがプラジナーの手になるものとの疑いを抱いていたものの、長らく確証を得ることができずにいた。宿主ティラミアⅢの影響のせいか、彼らはリリン・プラジナーを忌み嫌っており、深まる疑念を晴らすべく、様々なアプローチを試みた。時にそれは、彼女の暗殺をも厭わず、あるいは、VRを用いた大がかりなものへと発展する。中でも、一連の破戒騎士による行動は、過激なものとなった。
プラジナーの地球圏追放後、FR-08は白虹騎士団を自らの直轄とし、それまで保障されていた待遇や地位を剥奪した。騎士団は、シャドウ掃討の24時間営業デリバリー・サービス団体へと変容し、大部分の団員は粛々と任務に専念する一方で、モチベーションとモラルを失った一部の者による不法活動が常態化した。
FR-08は違反者に厳罰をもって臨む姿勢を示したが、それを見越して、VRと共に出奔する者もいた。俗に破戒騎士と呼ばれる彼らと、彼らの駆るVRは、特に限定戦争市場では公然の秘密となり、その圧倒的パフォーマンスゆえに招致を巡って大金が動いた。
これに味を占め、一部の破戒騎士は行動をエスカレートさせる。やがてダイモンと通じ、ある種のテロリズムに手を染めるようにさえなった。事態を憂えた騎士団の有志は、かつての同僚を断罪すべくその行方を追ったが、本来の任務であるシャドウ掃討サービスをおろそかにするわけにもいかず、成果はあがらなかった。
破戒騎士について、当初、かつての団長リリン・プラジナーは静観の構えを示していたが、彼らがダイモンと接触したことを知ると、重い腰を上げる。そしてこれこそが、ダイモン側の企図だった。破戒騎士を火星戦線に送りこんでマーズを圧迫し、プラジナーを引きずりだそうというのである。
もちろん彼女も彼らの意図を読んでいたし、そもそもすでにキャパシティを越える活動を強いられているマーズを、新たな目的に転用するつもりなどなかった。検討の末、近侍を務める少年、焔輝からの提案を受けたプラジナーは、対破戒騎士戦に特化したVR、零距離抹殺断罪機ファイアフライの開発に着手する。パイロットは少年みずからが志願、コードネーム「蛍火」を名乗った。
焔輝は、インスペクターと呼ばれる特異な資質をもつ少年だった。インスペクターとは、別名「観相者」とも呼ばれ、タングラムの開発中にその特質が明らかになった、異能の人材である。おしなべてバーチャロン・ポジティブが高く、しかしその能力の発現はタングラムとの関係性に依存していた。彼らはその名の通り、時空のある一点、「相」を観る。それは、彼ら自身に特別な意思がなくても、観える時には観えてしまう。またその観相対象は、並行宇宙の無数に分岐する可能性、それは過去であったり未来であったり、また現在であったり、各人各様の、ある特異な一点だった。彼らの能力は、特に、タングラム開発中の第9プラントにおいて重宝されていた。
ファイアフライに搭乗した蛍火(=焔輝)は、タングラム開発中の第9プラントに籍をおく幼い頃から、蒼輝と呼ばれる少年と共に、近侍としてリリン・プラジナーに仕えた。父親であるプラジナー博士の失踪後、軟禁された彼女の傍らには常に彼ら2人の姿があり、不幸にしてOMGの際に蒼輝は消息を絶ったものの、やがてFR-08の盟主へと祭り上げられ、また追放された際、焔輝は1人、側に仕え続けた。その間、幾度となく生死に関わる危機に直面した主を守り続けた少年が、今またファイアフライに搭乗して破戒騎士に戦いを挑むのは、少なくとも彼にとっては必然だった。
ことVRパイロットとしての資質に関して言えば、蛍火は決して恵まれているとは言えなかった。だが、無数に分岐する未来のうち、ある一点を観相するこの少年は、MSBSとの接続によって、自らのビジョンを来るべき戦闘へと移相することができるようになった。システムのサポートを受けて先鋭化するビジョンの、あまりの鮮やかさに魅入られた彼は、それを手繰り寄せて現実のものとすべく戦う術を学び、可能性の1つでしかない未来を既視のものとして、圧倒的に不利な破戒騎士との戦いに臨み続けた。そして満身創痍となりながら、奇跡的とも言える勝利を掴み取り続け、後に「蛍火七番勝負」と謳われる伝説を生み出すのだった。
747-FF 零距離抹殺断罪機ファイアフライ
747-FF 零距離抹殺断罪機ファイアフライ
ファイアフライ(図中左側の機体)は、破戒騎士抹殺専用にごく少数がつくられた。主武装は、スライプナーをベースに開発されたFF17。他に、制御補助用デバイスとして、SPG-81バニー・バニーが左側頭部に装備されている。その戦いぶりの一端は、P.482に掲載されているエピソードから窺い知ることができる。
53. タングラム召喚
リリン・プラジナーは、マーズを率いて地球圏へと帰還する機会を待っていた。すでにダイモンは火星圏へも侵蝕の手を伸ばし、勢力を拡大している。だが彼らにも弱点はある。
そもそも、ダイモンのダイモンたるパワーは、その出自であるOT、より正確にはムーンゲート等の非人類起源遺跡にある。確かに彼らは人類社会への侵入を果たし、オーバーロードさえ呑みこんでしまう等、日々力を増している。だが、あまりにも異質なため、人間のありように完全に馴染んでいるわけではない。今、彼らと遺跡との接触を絶ってしまえば、その勢力は格段に衰え、仮に生残したとしても、通常のシステムバグを処理するレベルでの対応が可能になる。つまり、遺跡内に設置されたVクリスタル管理システムを刷新し、強固なファイアウォールを新設することで、ダイモンの生命線を絶つのだ。
リリン・プラジナーは、これを実現する術を知っていた。人類が生み出した最上位のVクリスタル制御システム、すなわち時空因果律制御機構タングラムを稼働させるのである。これこそ、ダイモンとの戦いで勝利を手繰り寄せることのできる唯一の手段だった。
しかしタングラムは、かつてTSCが主導したブラットスによる交感遮断の影響を受けて、CISを漂流している。その際の彼女の行状、つまり、様々な世界を往還しては、都度騒ぎを引き起こしている様子をファイユーヴ経由で聞かされていたプラジナーは、潮時と判断してこれを召喚することにした。CIS内にいるタングラムとのアクセス・ポイントは、FR-08と第9プラントに設置されているターミナルのみであり、それは地球圏にしかない。ダイモンに気づかれずにそこへ近づくのはまず不可能だし、仮にたどり着けたとしても、そこからタングラムを呼び出していては、到底間にあわない。
逡巡の末、プラジナーはタングラムの召喚をファイユーヴに依頼することにした。先にも述べたとおり、両者はマテリアルこそ違えど、プラジナー博士が生み出した娘であり、姉妹とも言える間柄だった。近しいがゆえに互いを深く理解し、また相容れない部分もあり、2人の関係性は常に一定の緊張をはらんでいた。そのせいか、ファイユーヴに頼みごとをするのはプラジナーにとって相当な抵抗があり、決断に至るまでにかなりの時間を費やしたようである。もちろん、そうしている間にもマーズに属する戦士たちは戦い、傷つき斃れているわけで、側近の者にたしなめられた彼女は渋々ながら姉妹にコンタクトをとった。
多少の悶着はあったもののファイユーヴは要請を聞きいれ、タングラム召喚のためにCISへと旅立った。専用のピンを打つことで漂流後の行跡を把握していた彼女ではあったが、様々な世界との接触を続けていく間にタングラムが独自の人格を育んでいることも熟知していた。生みの親の願いとはいえ、いま再び道具として使役されるために元の世界へ帰還するように言われて、唯々諾々と従うものだろうか。ファイユーヴには確信がもてなかった。
彼女は一計を案じた。異世界を渡り歩く間に偶然見いだした電次元の歌姫の姿をまとい(彼女は自らの化身をHDと称した)、歌うことでタングラムに呼びかけたのである。それは、VCa0年にムーンゲートが覚醒した際、彼女が口ずさんだ旋律だった。あの時、リフォーによってタングラムは無理やり起動させられていた。それは彼女の係留施設の崩壊をもたらして多くの人を巻き添えにし、リリンも重傷を負う。うちひしがれる両者に寄り添っていたファイユーヴは、その時、ふと思いついたように歌の一節を口ずさんだ。それは哀しみの色をたたえた鎮魂の調べだったが、同時に傷ついた心を深く癒す音曲でもあった。いま再びこの歌をうたうことで、彼女はタングラムに生みの親の危機と苦悩を伝え、共にあるべき時がきたことを知らせたのである。
はたしてタングラムは、この呼びかけに応じてきた。
54. ゲート・オブ・タングラム
当然のことながら、ダイモンも自身の弱点を熟知しており、対策を講じていた。マーズは、リリン・プラジナーが率いる敵性組織であるとみていた彼らは、相手が本格的な攻勢に移る時には、必ずタングラムを召喚するものと予想していた。ゆえに、マーズが活動する火星圏に手を伸ばし、その動向を注意深く見究める一方で、CISを漂流するタングラムの接近にも神経を尖らし、それが現実のものとなるや罠を仕掛けて捕縛、事象崩壊要塞に拘束したのである。
VCa9年、切り札を失ったプラジナーは、奪回のための行動を開始する。要塞を破壊すべく、マーズから少数精鋭の戦力を抽出、特殊作戦を発動したのである。
作戦の第1段階では、要塞の位置を特定、及び進入ルートを割り出すことを目的に、ダイモン・フラグメントと呼ばれる特殊ユニットを回収する。第2段階では、CISから漏出するタングラムの救援信号を探知し、ゲート・オブ・タングラムを開門する。そして最終段階では、CISでの活動用に特殊装備を施したVRを用いて、事象崩壊要塞への突入を目指す。  段取りは妥当だったが、すでに手の内は相手に読まれており、成功率は限りなくゼロに近い。勝機は個々の戦士に委ねられていた。
プラジナーは彼らを前にして語りかける。
……さあ、真のMARZよ
意志と機知と技とをもって
最後の決戦に臨みなさい!
55. テンプレートの称賛
かくして、事は動きだした。
案の定、MARZの突入部隊は虎口に入るがごとき苦戦を強いられ、しかし彼らは堅忍不抜の心意気をもって個々の戦いを制し、事象崩壊要塞の最深部に到達する。ついにはゲート・オブ・タングラムをも見いだし、タングラムを解放することに成功したのだった。
時空因果律制御機構は、MARZの戦士の敢闘を称えるかのように語りかけた。
今、運命が解き放たれました
私、タングラムという名の運命が、
あなたの力によって解き放たれたのです
そして自身がもつ本来の機能、すなわち事象転送機能を起動し、ムーンゲート遺跡内に設置されたVクリスタル管理システムの刷新を開始した。ティラミアⅢを憑代としていたダイモンの核は急速に力を失い、単なるシステムバグへと堕していく。
ダイモンは、人類が抗うにはあまりにも強力な存在です
でも、すべてを超越し、嘲笑うかのような彼らでも
自らの運命に逆らうことはできません
あなたが私を手にすれば、彼らとてあなたに手出しはできません
それこそ、運命を手にする意志なのです
言葉に反して、タングラムの口調はどこかよそよそしかった。
それもそのはず、この台詞は、オラトリオ・タングラムでアクセス権を得たVRパイロットに対してアナウンスされる、テンプレートの文言をアレンジしたものに過ぎなかったのである。
帰還したタングラムは、自身を結局は道具としてしか見ようとしない人々の姿に失望し、精いっぱいの皮肉をこめて応対した可能性がある。何しろ、遺跡内管理システムのフォーマットを済ませるや否や、生みの親であるリリン・プラジナーにさえ挨拶もせず、早々に虚空へと姿を消してしまったのだから。
56.戦いの果てに
戦いの果てにMARZが得た勝利の余韻は短いものだった。
「おめでとう、リリン・プラジナー。君はティラミアをうち滅ぼした。地球圏への帰還を阻む者はすでにいない。そして第三極は空位になる。後を襲うのが君の望みというならば、少なくとも僕は歓迎するよ、可憐なる簒奪者」
プラジナーを筆頭にMARZ要員が詰める司令室宛にアンベルⅣから祝いのメッセージ(そしてこれは、全世界に向けての公開メッセージでもあった)が届くや否や、彼らを取り巻く状況は一変した。
可憐なる簒奪者──この一言で、MARZとリリン・プラジナーに対する評価は定まった。すなわち、表向きは火星戦線の治安を請け負う軍事企業を装っているMARZだが、その本質はリリン・プラジナーの私兵であり、かつて彼女が放逐された地球圏への復讐、そして再度の支配を実現するクーデターの実働部隊に過ぎない、というわけである。
これまで用心に用心を重ね、用意周到に事を進めてきたプラジナーにとって、皮肉な結末が始まった。
火星圏では、彼女やMARZに対する批判が一挙に噴き出した。そもそもMARZはあまりにも謎めき、そして精強に過ぎた。彼らを支持し、称賛する者がいる一方で、その力を恐れ、疎んじる者も数多く存在したのである。流れに乗じて、SM-06が反MARZの筆頭に踊りだした。火星圏各地で戦闘が発生し、彼らが擁するVR部隊はMARZとほぼ互角、時にはこれを圧する勢いを示した(これには、アイザーマン博士が密かに開発、整備を進めていたType Rの名を冠する新型VRが少なからず貢献していた)。長であるプラジナーの不在も響いた。地球圏で足止めをくい、危機にある部下のもとに赴くことができなかったのである。MARZ側の戦意は上がらず、ついには火星上の拠点をすべて失い、衛星軌道上に本拠地を移さざるを得なくなった。その後の数年間、地球圏と火星圏に分断された彼らは、自らの生残りをかけて過酷な戦いを強いられることになる。
VCa0年代の後半、世界は奇妙な形で分裂した。
木星圏の支配を強めるアンベルⅣ。
火星圏に拠点をうつして繁栄を謳歌するSM-06とアイザーマン博士の一派。
地球圏にあって修羅の道を突き進むリリン・プラジナーとMARZ。
いずれにとっても、未来は安寧を確約するものではない。
唯一、タングラムはそれを知っていたかもしれないが、すでに彼女はこの世を去った。
混迷のさなか、人々は自らの手で答えを探し求めて彷徨い続ける。
希望は絶望にかわり、ある者は斃れ、ある者は変節し、またある者は死線を越えて新たな境涯に至る。そのありようこそが命であり、語り継がれるべきものであると気づくとき、人は一筋の光明を見いだすことになる。
電脳暦とは、命の再発見を促す稀有な可能性を秘めた時代なのである。